茶一郎

バーニング 劇場版の茶一郎のレビュー・感想・評価

バーニング 劇場版(2018年製作の映画)
4.4
 何とも心地の良い、しかしどうしようもなさだけが募っていく2時間28分。
 とは言え、宣伝文にある「ミステリー」を信じて観ると、かなり期待値に落差が生じてしまいそうなのでご注意を。『バーニング』は主人公と、主人公の幼馴染にして整形で生まれ変わった美女ヘミ、そのヘミがアフリカ旅行で出会った謎の金持ちイケメンのベン、三人が織りなす三角関係のドラマであり、社会派の青春モノと言った方が正しいように思います。

 「友達以上恋人未満の女性が長期海外旅行で自分より遥かにスペックの高い男を連れて帰ってきた」から始まり、上映時間のほとんどをそのドラマにかけます。
 そして本作で最も美しいマイルス・デイヴィス『死刑台のエレベーター』をテーマ、マジックアワーを背景に踊るヘミを転換点に、この『バーニング』は「ヘミの失踪」、宣伝の言う「ミステリー」に変わっていきます。
 
 社会派の監督イ・チャンドンらしく、村上春樹の原作『納屋を焼く』に「社会派」のフィルターをかけ、作品全体を韓国社会と地続きなものにしています。概ね、本作における社会派のテーマは1.若者の格差, 2.実は南北の緊張関係におかれている若者たちというもの。
 劇中、突然に挿入される「若者の失業率が高い」という報道から、この『バーニング』では主人公とベンの対立に「若者の格差」を象徴させます。ヘミが言うアフリカ、サン族の二種類の部族「リトル・ハンガー」(物質的に貧しい者)と「グレート・ハンガー」(精神的に貧しい者)は主人公とベンを指し、全編にわたりリトル・ハンガーたる主人公とグレート・ハンガーたるベンの対立が、分かりやすく構図から描かれていきます。

 「2.実は南北の緊張関係におかれている若者たち」は、原作から追加された主人公の実家のある場所がそのテーマを強調します。この主人公の実家は一見、のどかな農村に見えますが、北朝鮮による対南放送が流れる北朝鮮に隣接した村である事が次第に分かっていきます。
 主人公たち若者は、実は見えない緊張関係に置かれ、家族に見捨てられながら孤独に生きているのです。(家族に見捨てられる若者というモチーフはイ・チャンドン監督作品頻出、『オアシス』の男女、『ポエトリー』の主人公の孫など)

 「そこに蜜柑があると思い込むんじゃなくて、そこに蜜柑が無い事を忘れればいいのよ」とは、蜜柑を剥くパントマイムを披露したヘミが主人公に語るセリフですが、後半以降のビニールハウスとヘミの失踪を巡るミステリーは、冒頭のヘミのセリフ「無い事を忘れる」に到着します。
 イ・チャンドン監督は本作を「見える/見えないの対比の映画だ」と語っています。見えない蜜柑と見えないヘミ、そして見えない休戦状態の韓国。ラストに主人公は、まさに見えない事を忘れて、ある場所に生き、自身の苦悩を小説に昇華するのです。

 しかしながら原作に無いラストがさらに上述のラストに追加されているのも、この『バーニング』の面倒な点。そのラストについて監督は「怒りを表したものだ」と語っています。「今の若者は賢いように見えて、どこに怒りをぶつけたら良いか分からない」、最後の主人公のアノビジュアルは「新生児のように生まれ変わる」、と。
 そもそも事件は起きているのか。そもそもベンは何者なのか。そもそもあのラストは現実のものなにか、小説の中の描写なのか。全ては観客次第という事ですが、私は前作『ポエトリー』同様、主人公が抱えたどうしようもない絶望感を創作物に変換したものだと思います。

 音声はこちら https://www.youtube.com/watch?v=QBEeqFLENb0
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