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バーニング 劇場版の小のネタバレレビュー・内容・結末

バーニング 劇場版(2018年製作の映画)
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このレビューはネタバレを含みます

カンヌ映画祭の映画紙の星取表で4点満点中3.8点と、パルムドールを受賞した『万引き家族』(3.2点)を押さえトップだったものの無冠に終わった本作について、その時から楽しみにしていた(ちなみに『寝ても覚めても』は2.4点)。

で、観てみると、映像表現とかメタファーみたいなこととか通好みの映画なんだろうなあ、と。観終わった直後に感動が押し寄せるとかではなく、わかる人にはわかる、わからない自分はちょっと考えてみないと腑に落ちない映画なのだろう、ということでちょっと考えたことを書いてみようかと。

小説家志望で、貧しく孤独な青年ジョンス、彼と幼なじみの女性ヘミ、ヘミが旅行先で知り合った金持ち男ベンとの三角関係。持たざるジョンスはヘミが唯一の拠り所なのに対し、持ってるベンにとってはあまたの女性の1人に過ぎない、みたいな。

ヘミは失踪して行方不明になるのだけれど、その原因はベンにあると確信したジョンスが、自分からヘミを奪ったベンに復讐するというような物語に思うけれど、この中にある“何か”について、解釈の余地が大きい表現を用いて観る者に深い余韻を残すという感じ。

映画倦怠期の自分にはちと辛い作品かな、ということはさておき、自分的解釈のモノサシは、わかりやすく意味深長な「有ると思い込むのではなく、無いことを忘れろ」というヘミの言葉。

「有る」と思い込んでも「無い」可能性も残るけれど、「無い」ことを忘れると「有る」しかない。だからジョンスは「無い」ことを忘れ「有る」ことを確認する作業に没頭するのではないか。

そして失踪したヘミの手がかりを追っていくうちに、ヘミが話していた井戸、ヘミの飼っていた猫が「無い」から「有る」へと変わっていく感じもする。

「無い」ことを忘れて「有る」ことを自らに刻印するには、当たり前だけど、まず「無い」ことが前提になる。朽ち果てたビニールハウスは存在する限り、いつか無くなってしまうけれど、燃やして「無い」ことになれば、「無い」ことを忘れる自分にはずっと「有る」ことになる。

つまりジョンスは、ヘミの言葉と、ビニールハウスを燃やすことが趣味のベンからヒントを得て、「有る」ことを燃やして「無い」ことにするのは、「有る」ことを自分の中に刻印することだと合理化したのだろう。

ジョンスの「無い」を埋めてくれるはずだったヘミはベンのもとへと行ってしまい、やがて自分の前から完全に消えてしまった。それにはベンがかかわっていて、ヘミの「無い」ことを忘れるためには、ベンが「有る」ことが立ちはだかる。ベンが「有る」限り、ヘミが「有る」か「無い」かはベンにかかっているから。

だからジョンスは、ベンを殺すだけでなくその存在を焼失させる必要があったのではないか。ベンもヘミも「無い」ことになれば、それを忘れることで2人は「有る」ことになり「無い」ジョンスは救われる、(ベンについては「無い」ことを忘れることを忘れるという方法もある)ということでどうでしょう。ダメかな? ズレてる?

『万引き家族』同様、モヤモヤ系の映画だと思うけれど、どっちのモヤモヤが広くウケるかでカンヌでは明暗をわけたのかもしれない。
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