るるびっち

バーニング 劇場版のるるびっちのレビュー・感想・評価

バーニング 劇場版(2018年製作の映画)
1.5
アホの坂田にちょっと似た主人公(個人の感想です)。
存在の耐えられないアホさ。
最初のパントマイムの件で「有ると思うのではなく、無いことを忘れる」と言う。
二時間半、地味に退屈なストーリーで、問いかけるものが「目前の事象が存在するか否か」存在すると思うこと自体が「まぼろし~」。
IKKOが一秒で言えるギャグを、二時間半掛ける時間の無駄。いや、贅沢な時間か?

世の中にあるものが存在するかしないか、なんて村上春樹は小説家だから、そんなどうでも良いことが飯の種になるのだろう。
飯の種にならなきゃ、そんな禅問答言う必要がない。

メタファーがどうの言うてるが、原作の「納屋」を「ビニールハウス」に変えた時点で、メタファーの意味が違ってくる。
納屋は物置だから過去の遺物や余剰品を表しているが、ビニールハウスは農作物を作っているので効率と生産性を表している。
決して無駄なものではない。
消費社会の末路を表す物と生産性を表す物では真逆なので、間違ったメタファーであり、その時点でこの映画に意味はない。二時間半の時間をこの映画に費やすこと自体が余剰である。
苦肉の策で「使われていないビニールハウス」なんて言ってるが、それはゴミであり、納屋とも違う。

最悪なのはオチの付け方で、観客の7割は予測がついて失望しただろう。若者が現実の閉塞感に抑圧され、キレることで現実打破する話は1970年代のATG映画で散々見た。
古すぎて失笑する。
カンヌの審査員は、きっと高齢で懐かしさの余り評価したのだろう。

アホの坂田は自慰行為で自己の存在を確認する。
「我オナる、故に我あり」
と、デカルトも言っている。
近代哲学はオナニーから始まったのだ!!
G 行為をしてる彼は実存するが、おかずである彼女は実は彼の妄想に過ぎず、実存しないかも知れない。
途中で居なくなったのではなく、最初から存在していなかったのだ。
すべては彼のオナニー・パントマイムなのである。なんちゃって💛

だから、ラストは主人公自体が存在したか否かを観客に疑問に思わせるオチが最適だったと思う。
ガールフレンド同様存在しないのだ。セレブ野郎がパーティ友達に語る。
「そういえば、最近へんな男と知り合った気がするが・・・」
「そんな奴、いなかったよ」
「え? そうかな? 小説家で・・・顔がアホの坂田みたいな・・・」
「何、書いてる人?」
「いや、読んでない」
「じゃあ、小説家じゃないよ、ていうか居ないよ、まぼろし~☆彡」
まあ、ATGオチよりは新しいんじゃないかな?
カンヌオナニー賞を贈呈しよう。
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