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ビリーブ 未来への大逆転のdm10foreverのレビュー・感想・評価

ビリーブ 未来への大逆転(2018年製作の映画)
4.3
【「sex」が「gender」に変わった日】

個人的な好みの話になるけど、フェリシティ・ジョーンズって結構好きなんですよね。
なんか、何処となく日本人っぽくないです?背が小さくてムチっとした感じで。
「ローグワン」や「インフェルノ」の時はそんなに感じなかったのに、今作では旦那さんとの身長差が結構あったせいか、より彼女の「(身長の)ちっちゃさ」が際立ってましたね。
僕自身、そんなに背が高いほうでもなくて、小柄な女性のほうがタイプなので、そういった意味ではサイズ感ピッタリ。

―――物語は1950年代のアメリカ。世の中は「男性が中心」と誰もが当たり前に思っていた時代。女性の権利なんて必要ない。何故なら昔から女性は家にいて家庭を守るものと決っているから。だから様々な法律でも男性にだけ認められる権利は多く存在しました。
ここでポイントなのが「男性にだけ認められる権利」というところです。決して「女性は認めない」とは言わない。でも明らかに国の法律が性差別を認め続けてきたのです。
そしてそれが問題にならなかったのは「それが普通」だと思っていた当時の国民の価値観が法律を追い越すところまで行っていなかったから。だからこんな差別的な法律すらも気にせずに暮らしていたのです。
そんな時代に弁護士を目指して頑張るルース。彼は夫のマーティと共に子育てをしながらハーバード大の法学科へ進学する。
まだまだ女性が男性と対等に肩を並べて議論することなんて「ナンセンス」だった時代に彼女は、持ち前の「諦めない根性」でのし上がって行く。
しかし、彼女を待っていたのは「空きがあっても『女性』という理由だけで面接すらしてもらえない」という社会の現実でした―――。

彼女が戦ったのは、根強い「性差別」を通して見える「アメリカの暗澹たる未来」でした。
100年前にアメリカで初めて行なわれた「性差別に関する裁判」。全く歯が立たない、勝てるわけがないと言われ実際に敗訴となり、以降それが「前例」となったままアメリカは法律で「不平等」を認め続けたのです。
ルースは法律の観点から「これはおかしい!」と訴える。
しかしそれはあまり意味がない事だった。どんなに理路整然と趣意書を仕上げても、どんなに支持者がいても。
何故なら判決が出る前から「前例」が全ての根拠の裁判だと皆わかりきっていたから。

しかし彼女は「諦めない!」
旦那さんが重病で生死の間を彷徨ったときも、家事と子育てと学業(それも自分と旦那の2人分)全てをこなし決して負けなかった。
そしてその背中を見て育った娘のジェーンは母の論理的思考に現実の肌感覚を併せ持つ「ハイブリッド」な思考の持ち主。
彼女はルースにとって「未来のアメリカ」の象徴のような存在だった。

100年前の亡霊(前例)に今もなお縛り付けられ、それを正しいと言い続けることしかできない法律家達。
しかし、既に時代は法律を追い越している。

「国を変えろとは言いません。何故なら国は勝手に変わるから。子供たちの未来を縛る前例ならばそれを正すべき。あなた方が正しい前例を作るいい機会なのです」

女性は家で家庭を守るべき。それはある意味では「伝統」として古くからの考え方(価値観)かもしれない。でも「そうじゃない」人だっている。人は生まれ持った性別(sex)で生き方を決められるのは不平等だというのがルースの考え方。その上で個々の立場や考え方を考えるときに用いる(gender)というものついて議論を深めるべきではないか。
僕は「女性の人権を!!」という方向で裁判に勝ったとなっていたら、正直(う~~ん)だった。それは片一方からの対立構造が角度を変えただけにしか感じないから。そうではなく、あくまでも「性差別はいけない」ということを訴えて勝ち取ったことに大きな意義を感じたのだ。

「法律を守る」と「法律を護る」では同じ音でも全く意味が違う。
法律の精神、法遵守という社会規範はもちろん重要だし、これは誰も異論は無いと思う。それは「法律を守る」ということ。
だけど「法律を護る」となると意味は全く変わってしまう。
人間が法律を擁護しなければいけなくなるのだ。人間が擁護しなければいけない時点で、既にその法律は「死んでいる」。死んだ法律を、それでもなお生きているかのように護り続ける人間は既得権益を護りたいだけの保守的な人間。そんな護られた法律に何の意味があるのだろうか?

この映画におけるルース達の戦いは、未来への第一歩に過ぎないかもしれない。
だけどそれは大きくて確実な一歩になったに違いない。
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