KnightsofOdessa

LETO -レト-のKnightsofOdessaのレビュー・感想・評価

LETO -レト-(2018年製作の映画)
5.0
48位[可視化された反骨精神→統制社会でのロックのMVという映像のアナーキズム] 100点

大傑作。横領容疑で自宅軟禁にあっていたセレブレニコフは昨年のカンヌ映画祭に出席できなかった、というのがNetflix締め出し問題の裏側で(日本ではあんまり報じられてないけど)起こっていた一つの事件だった。どうせロシアなのでそういうことなんだろうけど、何が発端であるかはよく分からないので割愛。重要なのは、それによってセレブレニコフを知り、ロズニツァと共に今年をロシア映画イヤーにするきっかけを作ってくれたのだ。ロズニツァは最新作以外の長編劇映画は観たので今度はセレブレニコフの番である。

主要登場人物はヴィクトル・ツォイ、ミハイル"マイク"ナウメンコ、マイクの妻ナタリアの三人であり、キノーと彼らの三角関係を中心に80年代ソビエトのロック界隈を描いている。
ヴィクトル・ツォイは、ソ連崩壊直前の80年代後半に大人気となった伝説的ロックバンド"キノー"のボーカルで、現在にも多くの遺産が残っている。キノーはソ連唯一のレコード会社メロディヤと契約しておらず、完全アンダーグラウンドで活動を開始し、ソロヴィヨフ「アッサ」によって全ロシアに知れ渡ることになった。その後ツォイが1990年に28歳の若さで亡くなるまで人気は衰えること無く加熱する一方だったらしい。
キノーはツォイ、アレクレイ・リュービン、オレグ・ヴァリンスキーの三人で1982年に活動を開始。しかし、オレグが徴兵のためすぐに脱退してしまい、同じくアングラ音楽活動をしていたボリス・グレベンシコフを仲間に入れることにする。やがて、作詞作曲を担当するツォイとライブやレコーディングのアレンジを担当するリュービンの間で軋轢が生じ、リュービンは1985年にバンドを脱退している。
マイク・ナウメンコもソ連の伝説的ロック歌手であり、作中の時代では既に大物アングラロック歌手だった。早い段階からツォイやキノーとも関係が深かったことが本作品で伺える。ただ、酒癖が悪かったらしく、結局妻に棄てられ、36歳で亡くなっている。

冒頭、トイレの窓からライブ会場に忍び込んできた少女たちが舞台裏から会場に回り込み、カメラがナウメンコのとこまで這うように近付く長回しに惚れる。唐突にカラーに切り替わったり、ツォイの初登場時に"彼には似てないね"と第四の壁を破壊したりテンションを持続させる編集が非常に上手い。唐突にトーキング・ヘッズ『サイコキラー』やイギー・ポップ『パッセンジャー』が流れ始めるメタ的展開はMVのように自由な表現を可能にし反骨精神を可視化する。最後に必ず第四の壁を唯一壊せる男が曲を紹介し、"これは現実では起こらない"と説明することで時代を超えた文化統制の批判が花開く。個人的にはジャケ写を皆でパクるシーンで「ぼくとアールと彼女のさよなら」を思い出してエモくなってた。途中で「キートンの探偵学入門」のように画面に侵入するのもいい。現実のアナーキズムを映像のアナーキズムとして昇華させている素晴らしいシーンである。

ラストシーン。アマチュアだったツォイがナウメンコの助け無しで大盛況をかっさらう。その姿を袖で見ているナウメンコ。やがて二人の横に生没年の字幕が映され、儚い命を燃やして若者たちに勇気を送った男たちの終焉を予測させる。ボリス・グレベンシコフは本作品を観て"徹頭徹尾嘘が並んでいる"と言ったらしいが、第四の壁を唯一壊せる男が頻繁に"これは起こらない"と掲げているように、本作品に事実を見出そうとするのは間違っている。ツォイやナウメンコの反骨精神を使ったセレブレニコフ渾身の政治批判なのだから。現に批判した監督は捕まっている。ツォイの時代から30年経った今でさえ"これは現実では起こらない"のだ。
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