亘

幸福なラザロの亘のレビュー・感想・評価

幸福なラザロ(2018年製作の映画)
4.8
【忘れられた聖人】
イタリアの農村。小作人ラザロは不平不満を言わない働き者の青年だった。ある日地主である侯爵夫人の息子タンクレディが偽装誘拐を企てる。その結果村人は外界を知る。

実際にあった小作廃止隠ぺい事件を題材にした作品。小作人たちは侯爵夫人たちに従いたばこ農園でわずかな給金で働いていた。その中でも働き者で善良なラザロは「使い勝手の良い」男。ラザロがある意味極端なまでに働き者なだけに周囲の人々・社会の不合理が浮き出てくる。

[働き者ラザロ]
小作人ラザロは働き者の青年だった。ほかの小作人から呼ばれればすぐに飛んでいきどんな労も厭わない。だから小作人たちがあちこちから「ラザロ」「ラザロ」と呼ばれ続けラザロはてんてこ舞い。時に人が嫌う仕事を頼まれてもラザロは何一つ文句言わず働く。その姿は極端すぎないかとも思うし一方でラザロとの対比で小作人が卑しく見える。

[狂言誘拐]
そんな彼の転機は、侯爵夫人の息子タンクレディとの狂言誘拐。タンクレディは少し富裕層であることを鼻にかけたような青年。その彼が、母親である侯爵夫人による小作人搾取について反対するために自らの誘拐を企てる。そしてラザロに協力を依頼するのだ。きっとタンクレディの「平凡な日常がつまらない、何か事件を起こしたい」という衝動だったのだろう。しかしラザロは献身的に協力し、彼のいる山の上へと食材などを運び始める。
しかしタンクレディが家族に電話をしたことからタンクレディ捜索が始まり警察がむらになだれこむ。そこで小作人たちは、小作制度が廃止されていること、自分たちが侯爵夫人に騙されていたことを知るのだ。一方ラザロは熱に侵されがけから転落してしまう。

[現代社会]
ラザロが目を覚ますと村には誰もいなくなっていた。強盗たちとともに街へ出るとそこは現代社会だった。さらに年を取った村の元小作人たちと出会う。彼らは都会でホームレスのような極貧生活をしていたのだ。相変わらず彼らは卑しいけども寄り添って暮らしていた。小作人が解放されたといっても、結局弱者である彼らは社会の周縁に追いやられ見放されていたのだ。

[忘れられた聖人]
ラザロにとって最も衝撃的だったのはタンクレディの変貌だろう。かつて洗練され勢いのあった彼は、今ではぼろぼろの服のしがない老人になっていた。そして彼はかつての資産を取り戻したがっていたのだ。社会からすればタンクレディも”悪人”であり、社会の周縁に追いやるべき人なのだ。そしてラザロは、タンクレディとの思い出であるパチンコを持ち銀行に向かう。しかしその後の仕打ちはラザロにとってひどいものだった。
彼には悪意がなかった。それでも一般人は彼を悪人だと思い込み、彼を執拗に痛める。ラザロはただ純真無垢なだけなのに、周囲は彼を"異物"として扱ったのだ。ラザロは、人々の汚さによって殺された無垢な聖人なのだろう。

”ラザロ"は聖書ではキリストにより復活した使途の一人。"神に近い存在"であるラザロが社会の周縁に追いやられる様子も、現代社会が忘れている良心を示唆しているように思う。
まさに純真無垢なラザロというキャラクターを使い、寓話的に人々の卑しさ・社会の格差をあぶりだした名作。

余談
作中の村は、インヴィオラータ村(穢れなき村)という架空の村の設定です。
亘