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幸福なラザロのCookieMonsterのレビュー・感想・評価

幸福なラザロ(2018年製作の映画)
4.3
何も望まないラザロが繋がりを希求する物語
無償の愛と搾取のシステムを巡り幸福とは何かを考えさせられる

小作人制度が終焉した時代のイタリアの地で、村人たちを支配する公爵家と、その村人たちに利用されるラザロ

作中の建物にも刻まれている、作品の舞台となる村の名前はインヴィオラータ、「汚れなき場所」という意味だそう
公爵夫人が村を社会から意図的に断絶したことで村人たちは社会変化に無知であり一方的に搾取されているが、それは汚れからも村人を守っているともいえる
公爵夫人が予見したように搾取構造から解放された数十年後、村人たちの暮らしは変わることがない
様々な形を持って搾取は行われ、貧者は貧しいままだ
寧ろ仕事にありつけない村人たちは貧しさから人を騙す必要性さえある
ここでいう村人たちは、知ることで汚れを知り楽園から追放されたアダムとイブに近いのかもしれない

天は人の上に人を作らず人の下に人を作らず、とは有名な言葉だが、人は人の下に人を作る
公爵夫人が搾取する村人たちはラザロから搾取する
蔑ろにされてもラザロは平然と受け入れ、他者の望みを叶えようとする
望まれればその通り行動するラザロの行動原理には従来の宗教が是としてきた無償性とも呼べるものがあり、しかしそれは彼を幸福にはしない

他者の望みを叶えようとするラザロの姿には他者との繋がりを維持しようとする彼の意思を感じる
それは家族というものを持ったことがないラザロがそういった利害関係でもいいから他者と関係したいと願った末に培われた価値観のようにみえる
だからタンクレディがラザロを兄弟と呼んだとき、彼は心の底から喜び、村人たちに嘘までついたのだ

この作品で狼は様々なものを象徴しているように感じる
そのひとつは、作中の話にあったように「善意を嗅ぎ分けるもの」だ
だからラザロは崖から転落しても狼に食べられずに復活を遂げる
狼が善意を嗅ぎ分けられるのは、神の使いだからではないか
最初声だけしか聞こえなかった狼は奇跡の瞬間に姿を現す
ラザロの復活
音楽という福音
ラザロの死
復活したラザロを祝福し、狼は街中に去る
きっと神の御元にかえるのだ

この作品はキリスト教の様々な考え方に基づきながら、どこかアンチキリスト教に見える
ラザロは狼に善人と判断され喰われずに復活した聖人だ
しかし時代を超えて彼を待っていたのは死ぬ前と変わらない強者が弱者を搾取する世界だ
タンクレディにも裏切られたラザロは涙する
この涙は、どこまでも無償で人に尽くそうとしたラザロが期待してしまった結果だ
愛を求めたとき、人は期待することをやめることはできない
そしてそれは復活や音楽といった、神の用意した奇跡では癒されぬ傷だ
それでもタンクレディへの愛を示そうとする彼は誤解の果てに殺される
そこにある問題提起は、“果たしてかつて宗教が形成した道徳観は人々を幸せにするだろうか?”ということだ
ラザロは最期まで報われることがない
そして宗教で賞賛されるその無償性は復活という奇跡を起こしはしても、幸せにする力は持っていないという不条理さと現実社会の美しいまでの残酷さをこの作品は突きつけてくる