Jeffrey

COLD WAR あの歌、2つの心のJeffreyのレビュー・感想・評価

COLD WAR あの歌、2つの心(2018年製作の映画)
5.0
‪「COLD WAR あの歌、2つの心」‬

〜最初に一言、超絶・傑作!パヴリコフスキが「イーダ」に続き素晴らしいモノクロ映画を作ってくれた。ジャズ(音楽)映画とも、時代に翻弄される2人の究極のラブ・ストーリーとも見てとれる本作は西側最先端の文化と共鳴する人々と社会主義リアリズム厳守の鉄則が成す当時の国の雰囲気、冷戦下を88分と言う短い尺の中に、15年分の物語を組み込んだ構想的にも監督の天才ぶりが分かる頗る傑作だ。私の2010年から19年の約10年間の中のベストテンに加えた傑作〜


冒頭、冷戦に揺れるポーランド。歌手を夢見るズーラとピアニストのヴィクトル。音楽舞踊団、養成所での出会い、恋、政府の監視、パリへの亡命、公演、再開、同居、故郷へ。今、2人の恋と運命が我々を待ち受ける…本作はパヴェウ・パヴリコフスキが2018年に波、英、仏で合作したモノクロ映画で、日本公開からかなり期待していた作品で、この度BD購入して2度目の鑑賞したが傑作すぎる。2010年から2019年の約10年間の中のベストテンに加えた作品でもある。今思えば第87回アカデミー賞外国語映画賞受賞した「イーダ」もベストテンの中に入っており、この監督の作品が2本入っている。2014年のアカデミー賞の栄冠を手にした「イーダ」で、唯一無二の才能を全世界に知らしめたパヴリコスキ監督が5年の月日をかけ、映画を真に愛する者たちが切望してきた最新作を完成させ見事にカンヌ映画祭でも監督賞を受賞していた。

映画祭に正式出品されて光と影のコントラストでモノクロなのに鮮烈としか言いようのない映像、愛し合う男女の引き裂かれてはなお一層求め合う行方のわからないストーリー展開と、さらに2人の心情を奏でる音楽が絶賛され獲得したものだ。その後も数々の権威ある映画賞に輝き、賞レースの最高峰となる当時のアカデミー賞でも外国語映画賞と監督賞と撮影賞と圧巻のノミネートを果たしていたはず。オスカーノミネート6度にしてそのうち2度受賞の巨匠アレクサンダー・ペインに、まだ先するのも惜しくなると言わしめた、今この瞬間も世界の人々の魂を震わせていると2019年最高の話題作だと絶賛されていたのも思い出す。この作品は心と五感を刺激する音楽と映像で綴る、冷戦下のポーランドで恋に落ち、時代に引き裂かれたピアニストと歌手の美しくも情熱的なラブ・ストーリーを描いている。

前作の「イーダ」に続いて、大胆さと繊細さが同居し、誰もがその透明な歌声と深淵な眼差しの虜になるズーラを演じたのはヨアンナ・クリークで、禁じられたジャズを愛したが故に西側へと亡命するヴィクトルには、ポーランドが誇る人気演技俳優のトマシュ・コットが演じている。わずかな表情の変化と佇まいだけで、音楽に捧げた人生を愛に奪われた男の哀愁を表現していた。ポーランドそしてベルリンとユーゴスラビア、パリを舞台に、西と東に揺れ動き、別れと再会を幾度となく繰り返して15年。過酷だがドラマチックでもあった時代に流されながらも、あの歌で結ばれ、互いへの燃え上がる愛だけは貫ぬこうとする2人。民族音楽や民族ダンス、さらにジャズに乗せて、髪の毛1本、草の葉ー枚、そよぐ風と揺れる水面まで、すべてのショットが観客の生きる世界はこんなに美しかったのかと教えてくれる映像で作る、心と五感を刺激する極上のラブストーリーと言って過言ではない。

この作品はまずファース・トシーンからもはやこの作品が紛れもなく傑作の部類に入ると確信できてしまうような美しい映像で始まる。まず冒頭の楽器を奏でる男性の手のショットから"あっ、これ傑作だわ"となる。そこから歌が始まる。そして子供の描写へ、タイトルバックが黒背景に白文字で浮かび上がりフェイドアウトする。次の瞬間車内の描写へ。楽器を弾きながら歌う老婆の描写が終わり、あどけない女の子の歌声と画面が変わり次の瞬間、物語は1944年へ。55年のワルシャワへ、ユーゴスラビアへ、57年のパリへ、そして59年のポーランドへと帰結する。そして6年後の65年の夏の歌フェスティバルの描写へ…。本作でズーラがソ連のミュージカル映画の主題曲歌「心」をロシア語で歌う場面はかなり良かった。これはソ連最初の音楽喜劇「陽気な連中」(1934)の事である。

日本では製作の翌年に、ポーランドでは46年に公開されたらしい。ソ連映画では男性歌手によって歌われる心は、決して若い女性向きの内容ではないが、ズーラが歌のサビにあたる部分を高唱する時、観客はこの歌が選ばれた必然性を理解するとの事。ロシア語の心(シェルツェ)とポーランド語の心(セルツェ)が単語レベルで、さらにソ連歌謡「心」とポーランド民謡「ふたつの心」(ドゥヴァ・セルドゥシュカ)が歌全体のレベルで響合っているようだ。その他にも革命歌のインターナショナルやスターリンカンタータ(アレクサンドル歩作曲)が加わったりもする。今思えば帝国主義の音楽として公開演奏が禁止されていたジャズが、映画音楽としても使われるようになったのは、社会主義リアリズム厳守の鉄則が撤廃され、西側最先端の文化と共鳴する作品が作られるようになったからだ。

この場合芸術においてだが。第二次世界大戦史の見直しが始まって、徐々にポーランド派とされる傑作が誕生していくのだ。私は常日頃映画のカテゴリーの中で、ヌーヴェル・ヴァーグ、アメリカン・ニュー・シネマ、フリー・シネマなど色々とある中で、ポーランド派と言う作品がすごく好きである。ワイダ監督の「地下水道」を始め、「灰とダイヤモンド」カヴァレロヴィッチ監督の「尼僧ヨアンナ」モルゲンシュテルン監督の「さよなら、また明日」ハスの「砂時計」や「サラゴサの写本」などが誕生している。そんな中、ゴムウカ第一書記が、60年代に入るとロマン・ポランスキー監督「の水の中のナイフ」を西側の消費文化に夢中になっているポーランドの若者を描いていると批判したのは有名な話のようだ。さて前置きはこの辺にして、物語を説明していきたいと思う。

さて、物語は1949年、ポーランド。3人の男女が、音楽を収集するために村から村へと訪ね歩いていた。彼らの使命は、民族音楽を集め、歌唱力とダンスの才能に恵まれた少年少女を探し、国立のマズレク舞踏団を立ち上げること。管理部長のカチマレクの指揮のもと、まずは養成所が開かれる。ピアニストのヴィクトルと、ダンス教師のイレーナが、生徒たちの中から団員を選択するのだ。そのエネルギーに満ちた眼差しで、初日からヴィクトルの心を奪った少女がいた。彼女の名前はズーラ、イレーナは問題児なのよねと指摘する。父親殺しで執行猶予中と聞いて驚いたヴィクトルは、ズーラにお父さんと何が?と尋ねるが、ズーラは平然と真相を話し、私に興味が?それとも私の才能に?と、大人びた表情で聴き返す。

1951年のワルシャワで、初の舞台が幕を開ける。センターで歌い踊り、ひときわ輝きを放つのはズーラだ。公演は大成功を収めてヴィクトルたちは大臣に呼び出され、最高指導者の讃歌を歌えば支援を惜しまない、持ちかけられる。イレーナは私たちは純粋な民族芸能にこだわっていると断るが、権力に擦り寄るカチマレクが引き受ける。その頃、ヴィクトルとズーラは激しい恋に落ちていたが、彼女はカチマレクにヴィクトルのことを密告していると告白する。西側の放送を聞くか、神を信じているかなど聞かれ、執行猶予中の彼女は命令に従うしかなかったと言うのだ。西側の音楽を捨てられないヴィクトルは、パリへと亡命を決意する。1952年、東ベルリンでの公演の後、一緒に行くと約束したズーラは、ソ連占領地区の端で待つヴィクトル。

だが、数時間が過ぎてもズーラは現れない。心を決めたヴィクトルは、1人で西側へと渡る。1954年、パリ。ヴィクトルは編曲や作曲をしながら、ジャズバンドのピアニストとしてバーやクラブで演奏していた。ある時、舞踏団のツアーでやってきたズーラと再会する。ぎこちない会話の終わりに、未熟だから無理だと思ったと、約束を破った理由を告げるズーラ。2人は強く抱き合うが、逃げないと言う彼女の意思は固かった。ヴィクトルは一緒に暮らしていた恋人に、大切な女に会ったと打ち明ける。1955年、ヴィクトルは舞踏団の公演を見るためにユーゴスラビア訪れるが、1幕目が終わると、ユーゴスラビア国家保安局の男たちに連行され、パリへ送り返されてしまう。2幕目の幕が上がり、ズーラは空席に向かって悲しげに歌うのだった。

1957年、シチリア人と結婚して合法的にポーランドを出たズーラは夫とは別れヴィクトルと暮らし始める。彼のプロデュースでレコードデビューを果たし、ようやく幸せをつかんだかに見えた彼女だが、パリは華やかだが、どこか浮ついた日々に馴染めず、次第に心を閉ざしていく。そんな中、何も言わず突然、ポーランドへ帰ってしまうズーラ。ヴィクトルが舞踏団に電話をかけても、行方不明だと言われてしまう。ヴィクトルはズーラを追って、故郷へと変も帰るのだが…とがっつり説明するとこんな感じで、2010年以降に映画化された同監督の「イーダ」やヨアンナ・コス=クラウゼとクシシュトフ監督の「パプーシャの黒い瞳」は両方ともポーランド映画で、私の2010年代ベストテンに入る傑作だ。

本作もその10作の中に入る。「ローマ」(Netflix限定配信作品)が世界的に大絶賛してヴェネチア国際映画祭で金獅子賞受賞し、アカデミー賞外国語映画賞でも最優秀作品賞として受賞したが、正直個人的には本作が受賞して欲しかった…とは言え世界3大映画祭ではこの作品は出品され、コンペティション部門でパルムドール賞を争ったが、結局監督賞のみにとどまった。非常に残念である。またこのような作品を見てしまうとパルムドール賞に「万引き家族」…と思ってしまうが、そこら辺はやはり人の感性、物の見方だから仕方がない。勿論、「ローマ」も素晴らしいモノクロの映像で好きだった。さて、物語は戦後のポーランドを舞台にヴィクトルと言う音楽舞踊団を率いる男と民族音楽を披露する為にオーディションしに来たズーラと言う若い女性との恋を描くが、背景に様々な事情を絡ませる。

それはプロパガンダやスパイ、国境越え、亡命、出産などがある。男が静寂な建物(廃墟の教会)の中から一瞬空を見上げ(男性の姿を映しているわけではなく、あくまでもカメラだけが建物と空を収める)そのカットがローアングルで映されるのだが、とんでもなく神秘的で古代的だ。目元のクローズアップ、自然光を教室へと入れ込む窓際のダンス練習のため息のつくほどの美しいモノクロのコントラスト、圧巻の女性たちの合唱…素晴らしいの一言だ。「イーダ」の時もそうだが、この監督の特徴として画面構築で被写体の体を半分フレーム外に落とし込み、片方だけをフレーム内に収める演出は本作にも見られた。それは巨大鏡をバックに煙草を吸う女性とヴィクトルが会話する場面だ。

また川辺で寝転びヴィクトルと神の話をするシークエンスでズーラとヴィクトルが口喧嘩して女性が河に飛び込むまでの長回しの場面は美しすぎる…そして数秒の夜のショットの女性の悲しそうな表情が何とも言えない慟哭誘う…。またスターリンの肖像画が合唱隊の背景から昇りが上がる場面も印象的だし、列車で2人が見つめ合い接吻する下りから、時間的、空間的に展開される身体の韻律的運動を披露する舞踊のシーンも圧巻。被写体とカメラが同時に進行する夜のワルシャワの街で、閑散とする空気の中に映り込む店のネオン看板の煌きが一瞬見え、そこからドラムを打つ男のカットは最高過ぎる。サックスを奏で、ジャスが聴こえ始めるエレガントな時間はパヴリコフスキならではの演出だ。

合唱団の女性の顔を斜め後ろから捉えた流れるカメラワークも素晴らしいの一言だ。男がただ乗り物から降りるだけの行動なのに、そのフレーム内に映る完璧な美を持つ町並みに感動するし、不意に意味なく、子供がボール遊びするシーンが一瞬映る。そこも印象に残ってしまうほ程の画作りである。男女が坂道を上る町並みの場面があるのだが、30年代のフランス黄金期の映画を彷仏とさせる一瞬だ。その曲道で男女は熱い接吻をする、なんて素敵な一場面なんだ。画面は次の瞬間夜の寝室へと変わり、男女の性的描写へと誘う。静寂なパリの街並み、ここはセーヌ川だろうか、教会の鐘の音が静かに鳴り響き男女が抱きしめ合い、船の上から夜景を眺めその風景を捉えるカメラがベンチに座る恋人の接吻を映す。

歴史的な建築物を夜と言う黒の基調を前面に押し出し効果を上げた場面は最高。画面は一度フェイド・アウトして、クラブで踊る男女の姿からスタンド・マイクの前で女性が歌う場面でのカメラが一回転する穏やかなワンシーンは印象的だ。またその際に使われるライトアップの演出の素晴らしさが最高。次にカメラは整理整頓されていない生活習慣丸出しの部屋を固定カメラで淡々と映す。床に座り背をベッドに凭れる男と正面にある椅子に座る女性、煙草の煙が立ち昇り、男はベッドで読書を、女は鏡の前で薄化粧を…。会議室のような部屋で窓際から小さく見えるエッフェル塔がまたなんとも監督の可愛らしい演出だなと思う。

また物語の終盤でポーランドに戻ってきた女性が列車から降りるまでの車窓から映る原風景な街並みや戦時中の都市にいる兵士の姿や大砲や爆撃、戦車が走るエンジン音等、男女がバスに乗り田舎町に到着する際に映り込む1本の木がシンボリックのように映し出され、まるでズビャギンツェフの「ヴェラの祈り」に出てきた木を思い出すし、侯孝賢の「童年往事 時の流れ」にもある風に靡く1本の木を彷仏させる。また冒頭で写っていた廃墟の教会の中でキャンドルに火をを灯し、錠剤を口にほおばり結婚を誓う2人の画は美しく、今まで映ってきた都会の喧騒や派手な文明化にあった場所とは違う風光明美な風景の中にポツリと設置されたベンチに座る2人が手を握り立ち上がり、フレーム・アウトする大団円は見事で、エンド・クレジットと共に流れる悲しいピアノのメロディが余韻を残す。

そこから口承によって受け継がれた歌、所謂"民謡"が不意に流れる終りは…泣く。映像と音にこだわり抜かれた88分の奇跡の様な映画だった。 俺が思うに、芸術家が創り出した芸術作品は一体であり、その意味では人類最古の芸術として色んな芸術の源流を成してきた舞踊を本作で選んだ監督は凄いし、映画と言うフィルターでそれを体験できた事を心のそこから監督に感謝したい。これほどまでに民俗音楽に感銘を受けた映画も少なく、既存の音楽をうまく活用している感もこの監督が映画作家になる前はミュージシャンであった事が大いに強みになっている。正直前作の「イーダ」よりこちらの方が個人的には好きだ。短い上映時間にしっかりとストーリーを入れ込んでる21世紀の傑作の1本だ。最後にズーラが言う"向こう側"で見ようと言う言葉…それが明らかにされてなかったその前のシーンの錠剤を口にほおばった理由がわかった瞬間でとてつもなく悲しくなる。‬

しかしながらそのラストの場面の十字路というのがまた何かしらのメッセージを与えているように思えて仕方ない。党、国民、祖国をスローガンに揚げた大国ソビエトの支配下にあるポーランドで15年と言う長い年月の中で冷戦を生き抜いてきた2人の物語を90分を切ってうまく作ったのはさすがだと頭が下がる。この物語はハッピーエンドとして解釈するべきなのか、それともそうではないのか、色々と考えさせる時間を与えてくれる。とにもかくにも深い余韻を残す作品であった。別離と再会を繰り返し、今やっと安らぎの場所を見つけた2人の放浪する恋人たちの象徴さは唯一無二だった。ソビエト時代の支配、ロシアになった今もウクライナを支配しようとするプーチン政権の今の現状となんだかリンクしてしまった(国は変わらないのかもしれないと)。

ノートルダム寺院が炎に包まれたショッキングなニュースもあったなと久々に鑑賞して思ったが、その暗闇の中にシルエットで浮かび上がるノートルダムの蠱惑に満ちた風貌はたまらなかった。マクロン政権になって、花の都パリであらゆる事件やデモが起こっていて、この映画のパリとは似つかなくなっている。この映画の印象的だった場面はたくさんありすぎて全部ここで紹介するとかなりの文字数になってしまうから本当に心に残ったのだけを語ると、マズレク舞踏団のモデルとなったMASATOSHI民族合唱舞踏団の有名な2つの心のフランス語によるジャズ・バージョンでジュリエットはフランス語詞を手がけていて、監督自ら趣味でピアノを弾くなど、音楽に精通している人物だからこそ成し遂げられた、ダイアローグだったり、東欧の民族音楽の特徴である強烈な地声のコーラス、ジャズ・サウンドの見事な対比がやはりすごく印象的である。

革命歌インターナショナルがポーランドの背景下では流れて、パリのキャバレーではジョセフィン・ベイカーの歌声やてアメリカのロックヒット曲「rock around the clock」やアドリアーノ・チェレンターノのカンツォーネの「2万4千回のkiss」などが流れている。それにクライマックスではゴールドベルク変奏曲の「アリア」が最高の印象残している。ここで少し冷戦史を語りたいと思う。1945年5月7日、連合国軍司令長官とナチスドイツ国防軍作戦部長が、ドイツの降伏文書に調印した。文書は翌日発行し、安定的平和が訪れることになっていたが、そうではなかった。ナチス降伏を見かねて、先に米英ソ首脳がヤルタ会談(1945年2月)を開き、ポーランド問題などを議論していた。

戦後ポーランドの管理者となるべきは、それが後ろ盾のポーランド国民開放委員会(ルブリン)か、それとも反響的な亡命政府(ロンドン)か、英ソの見解は対立した。米国の仲介で、ポーランド国民が総選挙で意思表示を行うことと、国土全体を西に移動させることに決まる。帰国した亡命政府指導者を待っていたのは、しかしソ連による逮捕と処刑だった。1945年6月末に結成された、ボレスワフ・ビェルト率いるポーランド共和国国民統一臨時政府は、名目上ルブリン派とロンド派への連立だったが、実質的にはソ連の傀儡政権だった。47年には、ソ連の圧力により、米国が推進した復興援助計画(マーシャルプラン)への参加を断念。社会主義政権への抵抗を続けた、国内軍残党の大多数も投降した。

翌48年には、民族的との批判を受けたゴムウカ書記長が解任され、共産党と社会党が合同して統一労働者等が成立する。ポーランドはこうしてスターリンの路線の忠実な政党が支配する東欧国家になって行ったのだ。その後にも鉄のカーテンとかでソ連とソ連間諸国が、西欧の非共産国に対して取った閉鎖的態度を見せたり、チャーチル演説だったり様々なことが起きる。そうして冷戦に突入し第二次大戦後の米ソ関係を意味する、核戦力を背景に、欧州地域から世界的規模に広がっていくのだ。今思えば1948年に米国で制作された反共映画の「鉄のカーテン」と言うウィリアム・A・ウェルマン監督の作品があるが、この作品もそれと共通している。

確かポーランド広告文化センターの久山宏一氏は、1949年から64年のポーランド技術(音楽と舞踊を中心に)に対して、社会主義ポーランドの芸術は、大きな転換期を迎えたと言っていた。それはスターリンが政権に着いた1934年に、芸術の唯一の正しい方向性と定められていた社会主義リアリズムが、ポーランドでも義務付けられたと言うのだ。芸術作品は現実主義的な形式と社会主義的な内容を持たなくてはならないと言う、多様な解釈を許すようでいて、実は形式的実験と反共産主義的主題全否定する考え方でもあったようだ。音楽、舞踊の分野では、民族性の回帰が求められた。民族舞踊団の創設と育成が図られることになる。本作では民族音楽から厳選した物語に共鳴する3曲が選ばれており、優美な雰囲気を与えていてすごくよかった。オベレク調になっていたり、アコーディオンで1人の女性が演奏していたり、マズルカ調になっていたりもする。

冒険心に満ちており、非常に多面性がある音楽が使われていて、どのパートも官能的であり、かっこよくも感じ、刺激的だった。ちなみに映画に出てくるマズレクは"マゾフシェ"の原型で、ワルシャワ近郊のカロリン地区を本拠に創設したグループである。ワルシャワを含めポーランド中東部の地域名からとられているそうだ。マズレクは、マゾフシェ地方の農民が踊る、4分の3拍子の舞曲の名称から。日本語には、ドイツ語のマズルカが定着しているようだ。ところで、アメリカで第一回ニューポート・ジャズ・フェスティバルが開かれて、世界中のヤングマンたちがジャズに注目したのは有名な話だが、この作品に出てくる主人公の男がジャズ・バーでピアノを弾いているそのお店の名前が、エクリップス(L'eclisse)になっているが、これはミケランジェロ・アントニオーニの不毛の愛三部作の1つで、今年になくなってしまったモニカ・ベッティとアラン・ドロンを主演にした「太陽はひとりぼっち」のことなのだろうか?あれもオリジナルタイトルは「L'eclisse」(日蝕や月蝕などの意味を持つ)だった。

それにしてもこの88分のわずかな作品も、世界の出来事を多くはらんでいるため、情報量が半端ないと思う。まず物語の舞台は49年のポーランドで出会いから始まる。その4年前の45年は誰もが知っている第二次世界大戦終結の年で、翌年の46年にはナチス・ドイツと力合わせて戦った米英仏とソ連の対立が明らかになって、いわゆる鉄のカーテンが誕生。47年に東西冷戦が始まり、49年にNATO(北大西洋条約機構)が発足して、コミンフォルム(共産党情報局)も結成され、中国では毛沢東政権が成立するのだ。そして50年には朝鮮戦争が勃発。2年後には連合国軍による日本の占領が終わるいわゆるGHQだ。そして53年にスターリンが死去して、朝鮮戦争が休戦して今に至っている。そして56年はソ連の第20回党大会でフルシチョフがスターリン批判をして、雪解け時代の始まりが訪れる。

57年にはソ連が世界初の人工衛星打ち上げに成功して米国が焦りまくる。58年にはEEC(EUの前身)が発足する。翌年にはキューバ革命。60年にはソ連、東欧諸国の社会主義政権、次第に保守化する(雪解け時代の終わり)が訪れる。翌年には東ドイツがベルリンの壁を構築して、62年にキューバ危機が訪れる。そして64年にフルシチョフ失脚して東京オリンピックが開催され市川崑監督によってドキュメンタリーが作られる…とこういう流れで行くのだ。この作品は8つのエピソードで区分されている。●49年のポーランドでの出会いそして●51年のワルシャワで恋に落ちる、●52年東ベルリン、ヴィクトル亡命、●54年パリで再会、●55年ユーゴスラビアかなわない再会、●57年パリで再会、同棲 、●59年ポーランドで再会、●64年ポーランド救出と言う流れだ。

話は変わるが、監督のパウリコフスキはズーラとヴィクトルの2人の人物は、自分の両親に重ねあわせて作った究極のラブストーリーだとインタビューで言っていた。2人の成長物語をどうしても描きたかったらしい。監督自身ミュージシャンで、子供の頃は民族音楽が退屈に感じたそうだが、大人になっていくうちに美しさがわかって、そのルーツとなる音楽がすごく好きになったそうだ。この音楽が主役の1つとも見て取れる民族音楽が、ジャズへと変化していき、人々と音楽の発展を捉えていく感じがまたたまらない。前作の「イーダ」もモノクロ映像とほぼ正方形のフォーマットとで作られていたが、カメラの動きが目立たなかった。しかし本作はカメラを動かしており、ドラマティックに、ダイナミックにしていた。それとパリの部分のコントラストの強調はすごかった。

さて、ここでもう一度印象的な部分を追加で話したいのだが、この作品ユーゴスラビアから退去を命じられてしまった主人公の男が、ホラー映画の作品のBGMを作っているシーンがあるのだが、すごく興味深く面白かった。このようなピアニスト(指揮者でもあり演奏家でもある)人が、ホラー映画のサウンドトラックなども手がけるんだなと思った。それから主人公の女性が男性に私、密告者なのとカミングアウトして、川の中に飛び込んで歌を歌うシーンもとても美しく思う。それから今度はフランスのセーヌ川で船に乗りながら2人が夜抱き合いながら街の風景を見ている瞬間も本当に息を飲むほどの美しさを感じ取れる。1.33:1(アスペクト比)の作品の中でもやっぱりこの作品は相当好きな部類に入る。あのラストの十字路とグレン・グールドのバッハ:ゴールドベルク変奏曲 BWV 988-アリアが流れるエンディングは余韻が残る。

長々とレビューしたが、政治に翻弄される主人公2人の愛のドラマの向こうに聞こえる音楽の数々には、ポーランド音楽のリアルな歴史と魅力が感じ取れるので、ぜひとも見ていない方にはお勧めする。本当に傑作だから。近年まれに見る傑作だと思う。この監督の新作が本当に楽しみで仕方がない。最後に余談だが、この作品に出てくるミシェルと言う男性はセドリック・カーンと言って、フランス生まれの映画作家である。受賞経験も持っていて、自分が見たことある作品は2001年にカンヌ国際映画祭コンペティション部門に正式出品された「ロベルトスッコ」と言う殺人鬼を描いた話だが、アルベルト・モラヴィアの小説を見事に映画化した「倦怠」と言う98年の作品が最も有名だろう。私はまだ見たことがないが…。それと主人公2人の名前は監督の両親からとられているそうだ。2人は89年に亡くなっているようで、素晴らしい人たちだったが、夫婦としてはどうしようもなかったと振り返っていた。
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