愛鳥家ハチ

ある女優の不在の愛鳥家ハチのネタバレレビュー・内容・結末

ある女優の不在(2018年製作の映画)
4.2

このレビューはネタバレを含みます

ジャファル・パナヒ監督作品。イランの現役女優のもとに届いた動画メッセージを手がかりに、パナヒ監督と現役女優が山村に赴き事態の解明を試みる物語。所感をいくつか。

ーー英題と邦題
 まず、タイトルについて、英題は"3 Faces"(ペルシャ語題もほぼ同じかと思われます)。これに対し、邦題は『ある女優の不在』。日本語としてはなかなか格調のある語感で、結論からいえば邦題のセンスは抜群だったと思います。かつて女優だった者、現在女優である者、これから女優になるであろう者の三者がストーリーの軸であり、序盤では、女優志望の若人が自死によって不在となっていることを強く仄かします。しかし、蓋を開ければ、スクリーンに現れてこなかったのは過去に女優だった者(ストーリー上は生存していますが、登場しないという意味で役者としては文字通り"不在"です)。この邦題のおかげで、自死が狂言であることが判明するまで一層ハラハラとさせられました。巧妙な仕掛けが光る邦題だったといえます。

ーー村の伝統
 男子の割礼によって生じた包皮の取り扱いが実に生々しかったです。包皮を宮殿の近くに埋めたいと言い、どこに包皮を埋めるのかでその男性の運命が決まると固く信じるお爺さんには驚かされました。包皮は神聖。良し悪しという価値判断は抜きにして、これがこの村で信じられていることであり、習慣ということです。もっとも、日本もこういった習わしと無縁ではなく、例えば乳歯を屋根の上に投げたり埋めたりすることはあるかと思います。
 ただ、お爺さんが息子の塩漬けの包皮を女性に託すあたりはやり過ぎというか、そこは同性に頼んで欲しいところ。現代女優もなぜ受け取るのかとは思いましたが…。割礼の文化がない地域では、少からぬ衝撃をもって受け止められたシーンだったといえるでしょう。

ーー気性の荒い弟
 姉は勉強が良く出来、テヘランの芸術大学に合格。これに対し、弟は「大学が何だ!」と喚き立て、村では肩身が狭くなっていると怒鳴り散らします。腕力を誇示し、人への暴力行使も辞さない様子で、家庭内暴力のヒリヒリするような恐ろしさがよく伝わってきました。

ーー後見人
 パナヒ監督が女優志望の女性の後見人になるとのことですが、渡された封筒の中の書類だけで簡単になれるのかは疑問でした。あのまま留まれば弟に痛めつけられる可能性が高いですし、親の承諾が文書に示されてさえいれば家庭裁判所(?)としてはそれで大丈夫なのかもしれません。イランの後見制度の建て付けが気になりました。
 ストーリー的には、パナヒ監督が後見人になれれば救いになるとは思いました。もっとも、ジェンダーロールや職業観等、村人の価値観がアップデートされるまでは真の救いがあるとは言い難いですが…。

ーー正当な継承者
 パナヒ監督がキアロスタミ監督の正統な継承者であることを再確認させられる映画でした。リアルなドキュメンタリーと思わせたり、完全なフィクションと思わせたりと、虚構と現実の境界線が曖昧で観る者に解釈を委ねる撮り方は、パナヒ監督自身の『人生タクシー』的であり、師匠のキアロスタミ監督の撮り方を踏襲してもいます。
 他にも、ジグザグの坂道、遠景、歩く人と追う人が現れるラストショットは、キアロスタミ監督の『オリーブの林を抜けて』に完全に重なります(細かいですが車のラジエーターに水を追加するシーンも敢えて取り入れたのだと思います)。更に、同じ場面で大量の雌牛を乗せたトラックが村方向に走り去っていきますが、これについてはキアロスタミ監督が確立したイラン映画の様式をパナヒ監督が「非言語による告発(とも取れる内容)」によって昇華させた瞬間だったのだといえます。イラン映画の一つの到達点を見た気がしました。
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