素晴らしかった。
映画は、意味ではなく文脈がしっかりしていれば楽しくなる、という気付きが最近あって、意味が多少わからなくても、目で追っている出来事に文脈をなぞらえていけば物語は自ずと浮かび上がってくる。
という前提で言えば。本作は衝撃を与えるオープニングから、全編にわたって何も起こらない。伏線らしい伏線もない。
謎解きもないし、物語的な終わりもない。
しかし、物語が与える問題提起は明確であり、21世紀も20年近くが経過した現代にも、現実として横たわる残酷さに満ちている。
大きく言えば、人は何の為に生きるか?でもあるし、食べる為に生きているのか?という話でもあるし、それでは芸術の役割とは?という話でもある。
何故、我々は映画を観て(あるいはつくり)、詩を読み(書き)、歌を歌い(奏で)絵を描くか。
何よりそれが、届くべきところに届いているか?という問いが、画面の隅々にまで張り巡らされている。
スマホや、ネットや、SNSや、動画を配信することで発信される「個人」の声。対して未だにもたげる「因習」や「慣習」に翻弄される主人公たち。
言葉を交わし、対話を重ねても。言葉は表面だけをなぞるばかりで。
奥底にある、そして日々の中にある感情の滾りのようなものがとにかく恐ろしい。
テレビで見たことのある「女優」が「来客」として目の前に現れればもてなすし、ときめくけれど。
自分たちの「生活」に関与してくることは拒絶する。
その「芸術」という「未知」に対しての嫌悪と、憎悪。
姿を現さない「元女優」の社会への怒りと、静かに絵を描き続ける姿という映画的描写。
そしてそれを車窓から「見つめる」視点に占められた画面の豊かさに感動した。
何も起こらない物語に、確かに浮かび上がってくる物語に映画を感じる。