レオピン

ブラック・クランズマンのレオピンのレビュー・感想・評価

ブラック・クランズマン(2018年製作の映画)
4.0
クランって言うな 団体(オーガニゼーション)って言え

あのデビッド・デュークを演じたトファー・グレイスさん。鬱病になる程苦しみながらの撮影だっとか、いやお疲れ様でした。

舞台は1972年ぐらいのコロラド警察。基本はコメディ。出てくるのがアホばっかりなんで腹抱えて観れますが最後はビシっと。なぜ今これを撮ったのかってのがストレートなまでに。レイシズムのバックラッシュは世界的に今起きている問題だから。

キモオタ丸出しのアイヴァンホーとフェリックスとコニーのネトウヨ夫妻。狂気と悲哀が詰まっていた彼らの怪演。疑い深いフェリックスは歴史修正と反ユダヤ主義を正面からぶつけてくる。相棒フィリップは潜入捜査を続けるうちに次第に己のユダヤとしての民族性に目覚めていく。

演説シーンもいくつかあった。ブラックパワーを提唱する黒人活動家カーマイケルの演説に聴衆が心をワシ掴みにされていく所が演出も相まって面白かった。女友達パトリスのモデルはアンジェラ・デイビス。アフロのボリュームといい眼鏡といいかっこいい女。

KKK集会とパトリスらの集会。『大統領の執事の涙』でもカットバックが印象深く使われていたが、こちらもテキサス州ウェーコで起きたジェシー・ワシントン事件を語る人々と、アメリカ・ファーストを叫ぶ人々を対比で見せる。交わらない両者。更にカットバック自体を発明したとされるグリフィスの映像が重なる。そもそもこの映画が第二波KKK誕生のきっかけとなったそう。なんという入れ子構造。

そして最後に現実を叩きつける。わざわざあのバカ大将のこれぞ、ザどっちもどっち論の見本のような会見まで引きながら。日本のメディアってのも実はあれと大差なくいつも決まって分断を煽るのは良くないですねで締める。酷いのになると汚い言葉使いはよくないですねとか過激なのはダメですねとかのおためごかし。もうお前ら全員そこ並べ
(そいや先日、2021年1月6日の議会襲撃について米下院の特別委員会は1年半にもわたる調査を終えバカ大将の刑事訴追勧告を司法省に行ったとか。共和党の次期候補はなんかもっとやべーのが来そうなんで、ここはきっちりケジメをつけさせて欲しい。たのんます)

ちなみにシャーロッツビルでデモに突っ込んだ犯人は20歳だった(ジェイムズ・アレックス・フィールズ・ジュニア、終身禁固419年)、京都のウトロ放火の犯人は23歳(懲役4年) 共通しているのはネットの反応を気にしていた所。日本じゃネトウヨの高齢化という話もきくが、逆にどんどん世代交代していっているのではないか。

KKKや今の白人至上主義の不気味さはネットミームが混ざり込んでいて笑えるのと暴力性が同居している所だと感じる。私が注目するのは彼らのあのふざけてるんだか本気だかよく分からない恰好。お手製のコスプレ感満載の装備にインセルにも通じる熱狂とのアンバランス。ナチスが出てきたときもこうだったのか。トゥーレ協会に端を発するあの意匠とか。最初はバカにしていたものが気がついたら。。

彼らの活動に一役買っているのが4チャンとか8チャンとかの匿名空間でのヘイトの増幅装置。この文化だって元は日本発。日本はそういう意味じゃ先を走っており未だそこに規制がない。今じゃその創設者である人物を識者扱いしていたり、ユダヤ陰謀論を元大使とかが堂々と吹聴していたりと大変なことになっております。いやー こんな時代が来るなんてなー

「憎悪は、空虚な人生に意味と目的を与えることができる」とエリック・ホッファー
彼らに感じる目的手段の倒錯。ゴールよりもやってる感重視。そこが気になる。やはりどっちもどっちで片づけられるはずがない。良識ある人ほど目をそむけたくなる気持ちも分かる。だが、あの森の中の射撃場でロンが目にした射撃の的。ヘイトをぶつけられた側の痛み悲しみは一体どこへいくのだろう。

とこんなぐっちゃぐちゃのカオスをエンターテイメントにして見せてくれたリー監督。ウンザリするが今目の前で起きていることはこれと地続きなんだなと直視することからはじめよう。 

⇒シャーロッツビル 春からの対立がついに死傷事件に
https://www.bbc.com/japanese/video-40920280


⇒シャーロッツビル衝突 記者が見た光景とトランプ氏発言を比較
https://www.bbc.com/japanese/video-40957329


⇒シャーロッツビル衝突で死亡女性の母「あの子の声はむしろ大きくなった」
https://www.youtube.com/watch?v=ofljsoNoA6E
レオピン

レオピン