タイレンジャー

ブラック・クランズマンのタイレンジャーのレビュー・感想・評価

ブラック・クランズマン(2018年製作の映画)
3.8
映画とは、個人や社会の問題をベースにした例え話だったりします。

『ロッキー』は売れない俳優であったスタローン個人の人生をボクシングに例えた映画だし、

『猿の惑星』は人種差別や民族間の対立というテーマを人間と猿の話に置き換えた映画です。

このようなことをメタファー(メタ、メタ的)と言いますが、分かりやすく「たとえ」で良いのではないでしょうか。

映画の作り手は個人や社会の現実をそのまま描かずに、例え話に置き換えて暗にメッセージを発することができるんですね。

そんな作り手が「たとえ」の中に忍ばせたメッセージを、観客が自由な発想で読み解くというのが映画(のみならず様々な芸術作品)の楽しみ方の一つだと思います。

だから、『ロッキー』の本編の中では「これはスタローン自身の話を元にしている」と明確に語る必要はないし、そこは観る者が思いを巡らせて楽しむ余白として残しておくものです。

余白があるからこそ、『太陽がいっぱい』は実は同性愛の話だという解釈が生まれたし(しかもそれがほぼ正解)、ロボコップはキリストがモデルだという面白い解釈が出てきたりします。

だから、作り手が「例え話」の映画の中で「実はこんな現実問題が元ネタです」と明言するのは野暮ったいんですよ。

考える間も無く答えが明かされてしまうクイズのようなもので、それでは考える楽しみは無くなってしまうんです。

スパイク・リー監督の渾身の一撃である本作は残念ながら、そんな野暮ったいことをやっちゃってます。

物語は70年代の米国を舞台にした黒人に対する人種差別に関する話ですが、本編の最後に現代の米国のニュース映像が挿入されています。

「70年代は差別が酷かったが、現代においても状況は何も変わっていないし、トランプ政権下ではさらに悪化するだろう」という、かなり具体的なメッセージが表明されて本作は幕を下ろします。

誰が観てもこれこそが作り手のメッセージであり、解釈の余地がない、あまりにも明確すぎる着地点です。

もちろん、そのメッセージ自体は否定しませんが、本作の場合は最後に現代のニュース映像を入れなくてもそれは十分に伝わるものだと思うのです。

現実を例え話にすることが「表現」であり、芸術だと思うのですが、本作の場合は結局のところ、最期の「現実」が映画の大半を占める「表現」を上回ってしまうんですね。

重いテーマを時に軽快に、時に刺激的に「表現」して、最後にもっと重い「現実」を突き付ける。それこそが作り手の狙いなのかもしれません。

でも、それをやっちゃうと、フィクション<ドキュメンタリー、ということになっちゃいます。せっかくほぼ全編が映画的な自由な表現で満ち溢れているのに。

なので、ほぼ全編を楽しんだ身としては最期の5分はどうしても蛇足に感じてしまうのです。そこまで作り手のメッセージを前面に出す必要は無かったし、解釈は観客に委ねるべきだったのだと。