serina

ブラック・クランズマンのserinaのネタバレレビュー・内容・結末

ブラック・クランズマン(2018年製作の映画)
4.2

このレビューはネタバレを含みます

スパイクリー2作目

ただ、最後の映像3分ほどで映画の内容全部飛んで行った。それくらいに衝撃だし、現実を超えるリアルな映画って存在しないのかもしれない。あの叫び声と衝突はどうやっても創造できるものでないし、それを創造が現実を超えてはならないな、と思った。

スパイクリーの攻め方すごかった。この調子でいつも映画作ってるのかな。他の映画もどんどん見たくなる。

白人主義者は何のために戦ってるのか、うっすら伝わってしまった。何を誇ってるんだと疑問が強かったのだけど、最初の歴史の映像でどこか理解できた自分が怖い。例えば、今地球に、見た目が違う他の惑星の生き物が来たとして、彼らは、同じ言葉を少し違うイントネーションで話し、文明は我々が少し進んでいる。自分たちがきずいた同じ仕事をしようにも、知識も能力も持ち合わせていなかった違う惑星の生き物と地球人とで優劣をつけて錯覚をしてしまうのではないかな、そう言う感覚なんじゃないかって。

「俺にはユダヤ人意識が低い。今までそうやって育てられてこなかったし。周りにユダヤ人の友達もいなかった。白人のつもりだったが今は全力で否定している。そして常に意識しているよ。色々な儀式とか遺産とか。」
本当に、見た目はたまたまそうなっただけだと思うのだけど。たまたま肌が白かったり、たまたま髪が黒かったり、たまたま髪の毛が薄かったり。それだけで、住む場所とか職業とか思想とかまで強制されてる組織。性別とか、肌の色とか、話す言語とか、そういうので文化や習慣、性格まで勝手にラベリングするのは楽だけど、大概間違ってるんだよね。それに気づかない人って自分もそのラベリングに支配されて縛られてることに気づけないんだよね。日本人だから、女だから、背が低いから、とかそう言うので出来ないことをどんどん選択肢を捨てちゃうの、ほんともったいないから、そうやって生きてる人は、このシーンを深読みして見たらいいと思う。

「座り込みや焼身自殺で効果はあったのか。」「いや。それでもわたしは行動しているけど。」「黒のレザーを着て白人殺せと言わないとノンポリ(ノンポリティカル)扱いか?」「本当に黒人の解放と自由の賛同してるの?」
まさにこれ。何かの思想や活動に賛成していてもそれを行動に表さないといけない謎の同調圧力が社会には多すぎる。すぐに偽善者扱いしてくる人たちが多すぎる。でも、結局そういうことを言う人って形だけで人が見てないところでは大した熱量がなかったりするんだよね。インスタばえするカラフルな食べ物にはなりたくない、見栄えせずとも味のいい食べ物でいたい。

黒人とか、みんな揃いに揃ってアフロヘアにして怖いよ、あんなの。スパイクりーもああ言う活動に違和感を持ってるからこそ作られたシーンだと思いたい。

ただね、stay cool「熱くならず落ち着け」sorry thats wrong, we are always cool.「ごめんけどそれは違う、私たちはいつもクールなんだから。」って言うのはかっこよすぎたからいつか真似する。

インパクトつよかった。上映中に、映画館で見ようと思って逃してた映画。見て正解!
serina

serina