髭ゴリラ

存在のない子供たちの髭ゴリラのレビュー・感想・評価

存在のない子供たち(2018年製作の映画)
4.5
「万引き家族」がパルムドールを受賞した
第71回カンヌ国際映画祭は
なんて素晴らしい作品揃いなのだろう。

どれがパルムドールになってもおかしくなかった。

その中でも今作品は
最も心を抉られ続け
もっともアンダーグラウンドな作品だ。

ものすごい衝撃だった...

どの言葉を選んでも俯瞰した慈しみとなってしまい
ポジティブに捉えられるのが嫌なので選ぶことが出来ない。

こんな作品、正直初めてだった。

もう映画ではなく完全なドキュメンタリーと言っても過言ではない。

冒頭、主人公の少年は法廷で親を訴える。
彼は親を何故訴え、何を望むのか...

そこから遡っていく話。

タイトルもそうだが、
「誰も知らない」に近しい境遇、設定ではあるが
ここは日本ではなくレバノン。

治安、環境、衛生、飲み水
安心なんてもの手を伸ばしても届かない。

「LION 25年目のただいま」のように
奇跡的に手を差し伸べられた訳もなく
何にすがれる訳もなく

精神的だけではなく、憔悴しきった身体。
希望すら何かわからなくなった主人公ゼインの無表情の目から落ちる静かな涙。

いまこうして文章に起こすだけでも
あらゆるシーンが駆け巡り涙が止まらない。

誰がどうであったら...そんなの愚問だ。

親は親で、自分自身がもっとも
哀れで、惨めで、可愛そうな存在だと
責め続けている。
同じような境遇で
同じような大人の背中しか見てないから
同じように子どもを扱う。

そんな親を自ら捨てて生きようとした少年は、這いつくばってでも生きようとしていくうちに無意識に
嫌悪した親と同じ生き様になっていく。


この負の連鎖を断ち切るのは何んなのか...


映画として素晴らしかった点もいくつかある。

まず、このような作品にしては
珍しいと言っていいほど
カット割りが細かい。

引いて長回ししても良いであろうシーンも
細かくあらゆる視点からゼインを映していくことで
視覚的に刺激を与え、観る側を引き込んでいく。

セリフが最低限に抑えられ
その風景や表情から感じとれ!と言わんばかりのシーンが多いのだが
ずっと引き込まれる感覚だった。


そして何よりこの演出。

あとでHPを調べて知ったのだが
メインキャストとして出演している
ほとんどの人が
役柄同様、実際に難民であったり
家庭や教育環境に恵まれない人である。

その中でも主人公ゼインは
シリア難民であり
実際に10歳から児童労働をして暮らし
教育もまともに受けられず
名前をなんとか書ける程度。

この子の目には何が見えているのか?
声を失ってしまうほど釘付けになった。

荒れ果てた状況や境遇の中から
この逸材の素質を見抜いた監督も素晴らしい。


ネタバレになってしまうので
言うことは出来ないのだが、

私たちが暮らしている中では
絶対に選択の仕様がない、
いや選択する必要もないであろう決断と行動を
彼らは涙ながらに行うのだ。


絶対に目を背けず観てほしい。

犯罪にしても
決して正当化や擁護するわけではないのだが

その行為は
ただの好奇心だからでは決して無く
そのバックグラウンドと過程に
どれほどの苦しみがあり
大人にモノとして扱われる子どもがいて
教育が何かすらわからない存在のない子どもたちが多くいるが故だということ。

誰もが自身が自身のみを可愛がって生きている限りは
決して断ち切られない負の連鎖が存在することを改めて考えなければいけない。

この作品は、出来るならあらゆる教育や
現場で観てもらうべきだと思う。

悪い意味では無く
かなりのトラウマ的作品だった。

周りには
「観てみなよ」
「観るべきだ」ではなく
「絶対に観なきゃいけない!」と
伝えようと思う。

この思い、何か形と行動にしなければ...
そんな使命を託されるかのようだった。
髭ゴリラ

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