垂直落下式サミング

バハールの涙の垂直落下式サミングのレビュー・感想・評価

バハールの涙(2018年製作の映画)
2.3
ISに夫を殺され、息子を誘拐され、自身は性奴隷として強姦された女性が、怒りと悲しみから復讐を誓い、女性によって構成された反IS武装集団に所属することで、熾烈な戦いのなかに身を投じてゆく。今もなお実際に続いている宗教紛争を題材にしている。
序盤で主人公の身に降りかかる悲劇を見せられれば、観客は誰もが怒りを胸に抱きながら弱い自分を圧し殺して戦う美しい彼女に同情的な視点で映画に入り込んで行くのだろうが、そこからの物語があまりに冗長すぎて目が疲れてしまった。
彼女がおいおいと涙を流す度に「またメソメソが始まったよ」と、ため息が出てしまう。この人は辛い目にあったのだからと頭では理解していたとしても、あんまり人前で泣いてばかりだと、ただの甘ったれにみえてしまうのは、現実でも映画でも同じらしい。
それに、戦争アクションとしても質が高いとは言えない。いままで一般人だった人が、武器を手に取って訓練もそこそこに実戦を経験しているというのだから、部隊の連帯がぎこちなく、判断も不正確になってしまうのはリアルな表現なのかもしれないけれど、戦闘シーンにまったく緊張感がないのはいかがなものか。
激しいアクションを期待したわけではないが、ここまでアクション要素を無視されると、「これが今なお世界のどこかで起きている事実なのだ」と汲み取らなければみていられない。
彼女たちがおかれている状況がどのようなものであるか、私がその文化圏に属し、そのドメスティックな社会体系の空気を肌で感じてはいないから、既存の戦争映画のような共感をもって観ることができなかっただけなのかもしれないけれど、本作の製作された意図は紛争を通してフェミニズムの精神を広く世界に訴えることだったはずで、だからこそ文化や価値観を共有していないグローバルな層に投げ掛けるものとして、多様な視点から入り込みやすく、尚且つ様々な角度からの議論を生むような、そんな作品に仕上げることが理想だったのではないか。
実話、IS、フェミニズムと、題材で観客の期待を煽っておいて、古今東西に掃いて捨てるほどある凡百の戦争被害者かわいそう話に落ち着いてしまうのは、テーマに対するアプローチの仕方がありきたりで浅薄と言う他ない。
現実ってのがこれよりももっともっと酷いことはわかってる。だから、このレベルの映画がそこかしろにあっちゃいけないんだよ。