イメージの本の作品情報・感想・評価・動画配信

「イメージの本」に投稿された感想・評価

相変わらずゴダールらしい映画であった。

そんな予感はしていたし、分かっていたのにまた観てしまった。

最近アニエス・ヴェルダは亡くなったけれど、彼女の遺作にも登場したゴダール節。健在。

土曜の昼なのに席がガラガラという劇場泣かせ。これは日本の場合だが、他国ではいに需要されているだろう。

スペシャルサンクス寺尾次郎

このレビューはネタバレを含みます

キチガイの所業。何回も唐突に爆発音がして戦争のシーンになるので、隣の人間の気が狂って、いきなり刺されたりしないか心配になった。最後の踊りながら倒れる人のシーンが記憶に残った。元ネタが知りたい。
Zealot

Zealotの感想・評価

3.8
⭐︎ ドラマ
ワンコ

ワンコの感想・評価

4.5
イメージすること
ゴダールの政治的な社会主義に対する郷愁も内包されているという意見もあるようだが、僕は、もっと単純のように感じる。
多くの戦争が暴力であるように、革命にも不必要な暴力的部分が多くある。
民主的な革命であってもだ。
法が支配する世界にあっても、その法を背景に、或いは、法を権威に見立てた暴力もあるはずだ。
宗教が後ろ盾にある場合も同様だし、環境破壊や、世界に蔓延する貧困や搾取も構造的には暴力であることは間違いない。
また、最近のネット社会の思考のフィルターを通すことのない言葉のやり取りにも、暴力性を感じざるを得ない。
ここに文字として起こしたものは、そんなことは言われるまでもなく分かっていることだと言われそうなことのようにも思える。
しかし、情報が溢れる社会で、僕たちは、暴力による悲劇や、例えば、暴力的な言葉の一人歩き、そして、その拡散の怖さを、本当にイメージ出来ているだろうか。
知識としてインプットしているだけではないだろうか。
最初の「リメイク」のチャプターでは、芸術が戦争を正当化するような喧伝を行なっていたことが想起されるような場面もある。
世の中には完全なものなどない。
だから、省みることや、イメージを膨らませることが大切なのではないか。
そして、イメージを膨らませるためにはアーカイブも重要になるのではないか。
映画も同様だ。
直感も重要なのだが、そこからイメージを膨らませることが出来るか否かで、受け取り方や見方も違ってくる。
「何ひとつのぞみどおりにならなくても、希望は生き続ける」
僕たちの歴史は、断片のようなピースではない。
繋がっているのだ。
悪の中の正義。正義という名の悪。中東膨大な絵と映像と音のコラージュ。
Expel

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2.0
ゴダール、ついにもう何もわからん、結構過激な思想をもってるのかな
おじいちゃんの独り言。
けれど重く深い。
白

白の感想・評価

3.5
読解や創造プロセスにおける手掛かりとしての効用とは別項で、引用をあるテクストを別個のテクストと関係させる手法だと捉えたとすれば、それは作品の世界に私たちの生を接続させる営為でもある。つまり引用行為は文学史(人間が築き上げた言語的な営み、その全体への意識)がテクストに反映されることで作品世界の重層性が増すことを達成可能にする。あらゆる言語的営みが、時に伝統と形容される時間の流れから遠くはなれることなどあり得ない(作品の単独性は、歴史なるものが存在する限り本質的に成し遂げることは不可能)ことが明らかな上で、引用の諸形態は、作品のテクストと接続関係にある別個のテクストの、其々のホモフォニーの固有性を交響させることによって果たそうとする(しかし果たされることのない)originalityへの意志を通奏低音的に秘める。
しかしここで私たちが映画をみるときに不可避的に負うことになる、イメージと記憶の癒着をゴダールは『イメージの本』を通して正面から引き受けようとしていると考えてみると、個々の作品のオリジナリティを意志するものは最早そこにはありえず、かつての自身の記憶に向かいながら、しかし映像という形で表現してしまったがゆえに、我々の記憶として「誤」伝播されるイメージの氾濫がその表現を通して我々に及ぶことになる。同時にそれらはあくまでオリジナルの作品に「似通う」ものにとどまり続ける。それゆえに『イメージの本』は、かつて観た「ような気がする」映像の記憶に心地よく同化する映像体験となったまま、未経験性を反復させることになる。そうしてスクリーンに映し出されるイメージは、すべて「それに似たもの」となって観客一人一人に記憶される。映画の固有名詞によって観客の夢すべてが『イメージの本』へと集約される。
人は映画を観るために、スクリーン(或いは一枚の布)に照射された光を記憶として焼き付けようとする構えを必要とされるが、『イメージの本』は記憶そのものを映像として映し出し、私たちはその(あからさまにそうであると認められた)記憶を記憶することになるという鑑賞プロセスを経る。そうした点で、仮に『イメージの本』の運動は映画体験の止揚そのものであるとしたら、記憶とイメージの関係性もまた変質している。
つまり『イメージの本』が試みた運動は、記憶とイメージを唾棄するものではなく、あくまでそれを経ることではじめて成立する反省=弁証の営みだと考えられる。
jam

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3.6
世界は単純じゃない

悲しみ方が足りないから
世界は良くならない


88歳ゴダールの最新作
正直、ゴダールの作品をきちんと観たことがないので、こちらもスルーしようと思っていたのだけれど。
魔がさして(笑)としか言いようがない…

文章、絵画、映画、音楽
これらの要素を想うがままに

海岸を走る列車
緑から青、黄色、赤へと
鮮やかな色彩で目が眩む

スコット・ウォーカー「The Drift」
訥々と語るのはゴダール本人


1.REMAKES
2.ペテルブルク夜話
3.線路の間の花々は
 旅の迷い風に揺れて
4.法の精神
5.中央地帯

の5章からなるアーカイブ

徐々にゴダールの"怒り"のボルテージが上がっていくのがわかる
5章では、時間を割いてアラブ世界について述べていて


打ち捨てられた土地
ここに薔薇があれば
花開いたばかりの薔薇が


言葉と映像から
彼の想い描くイメージを読み解こうとするけれど
…まだまだ…



例えば何ひとつ望みどおりにならなくとも
我々の希望は変わらない
過去が不変であるように
希望は不変

希望は生き続けている
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