Kuuta

アメリカン・アニマルズのKuutaのレビュー・感想・評価

アメリカン・アニマルズ(2018年製作の映画)
3.5
公開初日。思ってたより重い!けど面白かった。

田舎の大学生が1200万ドルの本を盗もうとする実話。人生に変化が起きると期待した奴、友達付き合いから手伝った奴、割と本気だった奴、金目当てだった奴。日常のテンションのまま計画だけは着々と進み、気付いた時には一線を超えてしまう。

ドキュメンタリーとドラマを交え、彼らにとっての事件の姿を描き出していく。シリアス寄りの「アイ、トーニャ」という印象。

何者かにならなくちゃいけないという強迫観念。大学生活への失望。待ち受ける就職。気の抜けた笑いや、若者の苦しさ。過剰にドラマチックなフィクションが挟まれることで、彼らの根拠のない自信や高揚感が追体験できるのが面白い。

オーデュポンは自分の好きなものを追求して生きた芸術家であり、何者でもなかったスペンサー(バリー・コーガン)の憧れだ。ガラスケース越しに聞こえる鳥の声、アメリカ大陸には似合わないフラミンゴが、彼の外界への羨望とリンクしているように見える。偉大な芸術家になるには特別な体験が必要、という凡人的な発想が痛々しい。

「現金に体を張れ」や「オーシャンズ11」「レザボア・ドッグス」への言及があるが、ケイパーもの的な軽快さを求めて行くと期待外れになるだろう。むしろ「犯罪なんてしたくない」と思わせるタイプの犯罪映画。人間は映画みたいにスタンガンで一瞬で倒れるわけがなく、実際は痛い痛いと何度も叫ばれ、抵抗される。

実際の犯罪をエンタメにする以上、バランスを取る意味でも彼らの外側の人の痛みが対比的に描かれていたのは良かった。司書の人の協力が無ければこの映画は成立していないだろう。スペンサーの母親の、本当に普通の母親な感じ、自分自身を責めているような様子。なぜ犯行に踏み切ったのか等、真実が分からない部分は敢えて「ぼかしたまま」描いた今作だが、この人達が傷付いたことは事実なんだ、と胸が苦しくなった。

冒頭10分のアイデアの多彩さに圧倒される。オープニングクレジットでの天地反転の世界や、写実的で毒々しさも感じるオーデュポンの絵の見せ方。第4の壁を超える会話、カットの切り替わりとともに役者と本人が入れ替わる演出、シームレスなカメラワーク…どれもスタイリッシュだった。

路上に出た現実のスペンサーが4人の車を見送るシーン。誰もが特別になりたがり、大人になって限界を知り、「その他大勢」として生きていく。その円環構造が示されている。

見る側も共犯者気分になる1回目の強盗シーンでは、胃のひっくり返るようなヒリヒリ感、日常と非日常の境界を行き来する感覚が、素晴らしいスコアの力もあり、丁寧に描けている。図書館を出た時の爽快感たるや。スペンサー的にはあそこでもう十分だったんだろう。

2回目の強盗で遂に、引き返せない非日常へと落ちていく。開かれた本のページの変化。地下室が真っ暗で出口が見つからない。逃げ道のない焦燥感。心臓の鼓動が鳴り続ける音の演出も良かった。

こうした後半のドキュメンタリックな緊迫感がよく出来ているだけに、前半〜中盤の仲間集め&計画シーン(普通の映画っぽい場面)はもっと楽しく、テンポを上げて撮るべきだったと思う。NY旅行など、盛り上げ所のはずが割と単調な印象。後半と対照的な伸び伸びとした幸せが見たかった。

事件自体どこまでが真実なのかは分からず、彼らの友情の強さもはっきりしない。ただ少なくとも、どこにでもいるようなHungry manが、小さな欲求の積み重ねから事件にのめり込んでしまった話なのは間違いない。

その行動の根本にあるのは、彼らが日常で抱え続けた虚しさや、息苦しさだ。

事件を経て大人になった彼らが、そんなほろ苦い記憶を噛みしめ直す。今作で最もエモーショナルな場面だと思うが、その描写を無言で涙する本人映像で済ませてしまうのは、私は映画として「逃げ」でもあると感じた。(何となく似ているので連想したベネット・ミラーのフォックスキャッチャーは、その辺の演出が見事だった)

いきなりベネット・ミラーと比べるのは酷としても、ドキュメンタリーでデビューした監督の二作目ということで、得意分野とそうでない所の切れ味の違いが如実に出ていた印象は残った。序盤の仕掛けと後半の事件の生々しい見せ方は良かっただけに、その部分を更に磨いて、ドキュメンタリー要素を廃した映画としての練度の高い作品を期待したい。70点。
Kuuta

Kuuta