ひろゆき

こんな夜更けにバナナかよ 愛しき実話のひろゆきのレビュー・感想・評価

3.7
銀幕短評(#398)

「こんな夜更けにバナナかよ」
2018年、日本。 2時間。

総合評価 74点。

この映画は思いのほか、よくできています。身体介護を必要とする障害者シカノさんと、かれを支えるボランティアの仲間とをえがく。彼らは じつのところお互いが互いを必要としています。健常者も障害者シカノさんを必要としている。こころの より所としている。どちらも裏おもてがない 真剣勝負です。いい加減をやっているヒマがないから。

シカノさんが、自分の欲求を あれだけあからさまにボランティアのひとにぶつけ、いつわりのない心情を吐露するのは、じぶんの一度きりの人生を後悔なく生きたい、その情熱をボランティアの皆に理解し共感してほしい。同様の生き方をしてほしい。その一心に尽きると思います。なぜならじぶんの余命がそれほど長くないことを毎日痛切に自覚しているから。

わたしもかれの考えに大いに共感します。余命が短かろうが、長かろうが、ひとのいのちは一度ぎりです。これは「チワワちゃん」でも書きました。やりたいことはできるだけたくさんやる、やりたくないことは なるだけ遠ざける。そうして生きないと間違いなく後悔する。いざ死ぬときに後悔の念にさいなまれること、それだけは御免です。

ひとは互いに支え合って生きていく。これは真理です。じぶんを支えてくれるひとのいない孤立、だれの役にも立てない虚しさ、それはきびしいものです。これらテーマを象徴的に分かりやすく提示できる道具立てが、障害者の介護の現場です。

お互いが人間的に成長すること、それを実感すること、互いに喜び讃えあうこと。ひとの生きがいの大きなひとつは、そこに紛れもなく表象されています。

シカノさんは、人生の夢について尋ねられると、かならず二つの具体的な目標を答えましたね。自信をもってそういう答えのできるひとは仕合わせですね。生きる目標があるから。もしわたしが同じ問いを訊かれたら、なんと答えるだろう。

わたしはいままで かなり生きたいように生きてきたので、そう多くのやり残しはありません。たぶんコーヒー、読書、映画にまつわる目標がやはり具体的に浮かぶでしょう。あと美術館めぐりとチェスと。音楽や落語にも大いに興味があります。もちろんカラオケと(シカノさんと同じだな)。

どれもおカネのかからない堅実な遊びです。いつでも止められるし、いつでも再開できる。ひとの意見や意思に左右されない娯楽や趣味。それをマイペースで楽しむ。これほどぜいたくな 人生の時間の使い方はありませんね。

シカノさんのように、白くうつくしい砂時計を折り折りに 裏返しながら。
ひろゆき

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