Yoshishun

フォルトゥナの瞳のYoshishunのネタバレレビュー・内容・結末

フォルトゥナの瞳(2019年製作の映画)
3.3

このレビューはネタバレを含みます

"葵が嫌いになるラスト"

傑作『ぼくは明日、昨日のきみとデートする』の三木孝司監督が、曰く付き『永遠の0』 の百田尚樹による同名原作を映画化したファンタジーロマンス。
『永遠の0』とは全く趣向の異なる、こうしたティーンエイジャー向きな内容も書けるのかと驚いた。
しかし、葵の種明かし含め、ラストまでの畳み掛けがあまりに酷い作品だった。

まず、というより本作における最大の問題点は、ラストに集約されている。
葵の運命を変えるべく1人死に絶えた木山には、人の運命が視える不思議な瞳を持つという設定があった。本作の宣伝文句にある「衝撃のラスト」は、予告編で大体察せられる通りの展開を指すと思っていたが、その後日談の中で語られる葵の設定を指していたのである。葵にも木山と同じ瞳があり、更にかつて木山が経験した墜落事故時に助けようとした少女も葵本人であった。

しかし、葵の種明かしパートでさえも、本編を観ていれば察しがつくし(木山もよく気付かなかったな)、それを知ってからみると、少し木山が不憫に思えてくる。互いの能力を知っていれば、ラストで木山が無理に死ぬことはなかった可能性だってあるし、他にあの事故をみぜんに防ぐ方法だってあったはずだ。最後の最後まで木山の前では思わせ振りな言動だけして、送られるはずだった指輪をはめて泣き始めても何も感動しようがなかった。

また、恋愛には「運命」というワードが付き物だが、本作における恋愛描写は何もかも運命やら選択と繋ぎ合わせようとする台詞回しが絶妙に気持ち悪かった。「9000分の1の選択にかけた」なんてワードを発する男は多分いない。神木隆之介だから許されるのだ。

まあ何も収穫がなかったわけではない。
性格は好きになれなくとも、この手の映画では『花束みたいな恋をした』に次ぐビジュアルの強さを魅せる有村架純。あんな携帯ショップ店員がいたら、毎月、いや毎週の如く機種変する常連がいてもおかしくはないだろう。

また、チョイ役で登場するDAIGOも、世間のイメージとは異なるちょいワル兄さんを好演。途中退場させるには勿体なかったが、あれは木山が人の運命を選択できることへの葛藤に繋がる場面であるため仕方ない。

文句多めにはなったが、三木監督の恋愛映画は大当たりもなければ、逆に大外れもない。たまにぼく明日のような傑作を放つポテンシャルを秘めた監督といえるため、今後の作品にも注目していきたい。
Yoshishun

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