まりぃくりすてぃ

アラジンのまりぃくりすてぃのレビュー・感想・評価

アラジン(2019年製作の映画)
1.7
大げさな映画。大げさなわりに、ワクワクもドキドキも感動もない。普通の映画よりも大げささが倍なら、面白さが当然二倍三倍四倍ぐらいにはなっていそうなものなのに、この映画の場合、大げささが四倍だとしたら面白さが等倍(かせいぜい140%程度)でしかない。

魔法の絨毯の動きが可愛かった。アニメでそれを観たい。
美しいアラジン役と美しいジャスミン役は、ファンタジーなんかと全然関係のない田舎臭い地味な現代青春リアリズム映画の中で出会わせたかった感じ。特にアラジンは、俳優的にも役柄的にもアクがなさすぎるせいもあって終盤までに主役未満へと埋もれちゃってた。ご苦労さん。

魔人ジーニーは、歌が下手すぎ。ミュージカルの一端を担える歌唱力がこれっぽっちもないうえに、歌声が無意味に汚い。無意味にだ。歌って以後のジーニーに、私はすっかり不信感。どんなにキーキャラとして頑張ってくれちゃってもね。ご苦労さん。アラジンをさしおいての主役なのか、ただの魔人なのか、今一度ハッキリしなさい!

猿、全然可愛くない。猫でもよかったんじゃん? 腕輪やランプをそっと掴むだけの役なんだから。シッシッ。

ジャスミン役だけど、ロイヤルな気品を出せてない。こういうヒロイン顔に生まれてヨカッタヨカッタ、表情ぐらいは研鑽してみたわ、の女子力以外何も伝わってこない。ほんと、ただの田舎の薄幸な若農婦として素朴な悲恋映画にでも出たほうがはるかに似合ってる。
彼女にかんする脚色もまずい。「女だけど、王位を継ぎたい」が独り言にとどまってて伏線らしい伏線になってないのに、後半に突如「女性であっても、言うべきことを言おう!」とか熱唱する。一見、21世紀型の壮大なジェンダーフリー宣言みたく聞こえるけども、取ってつけたみたいで、すごく商業的なあざとさ(女性客への媚び)さえ感じさせた。
そこまでに明示しておくべきだったのは、「父である王は、娘思いの賢帝ではあるけれど、民には圧政を敷いている。王女は、自分こそが王位を継いで善政を施してみたいと常々思っていた。“私が王位を継いじゃいけないの? 女はダメなの? なぜ?”」という王室の嵐の源。そのためには、まず「圧政下の庶民たちの苦しみ、に接する王女」をしっかり描かなきゃいけなかったんだよ。それが乏しく、単に王女が美貌(等の女子力)を武器に、幸せな婚姻による理想追求を求めてるばかりなように見えた。実際、最終的に悪者を追い出して女王となった王女が早速やったことは、「民を笑顔にした。国を真に平和にして繁栄させた」とかじゃなく「恋しい男を、王権行使によってゲットしてキスした」。これじゃ男の権力者たちが古今東西やってきたことと何も変わりないじゃん。かつて争いの絶えなかった邪馬台国に卑弥呼が平和をもたらしたことなんかと比べて、あまりにも稚拙。
つまり、一方でジェンダーフリーを、もう一方で保守的ロマンスを求めてる、その矛盾のせいで、ミュージカル上のクライマックスだった彼女の独唱が独善的にしか聞こえなかったりした。(好意的にだけ聴こうとすれば、まあ、心にしみ入ることはしみ入る。でも、もしもこれがインド映画で、王女が被虐の全インド女性へのガールズアップを呼びかけてんだとしたら本当に感動的だっただろうけどね、恵まれきった先進国のミスコン覇者的な女がこういうアメリカ映画でこういうこと言っても、嘘臭くて。。。 国内での人権尊重主義と対外的な人権圧迫好きという二重基準を無自覚に続けてるアングロサクソンの、一女優の自己アピにしかやっぱり聞こえない。)
で、結局、脚本どうすればよかった? 例えば「生来オテンバで、自分が女っていう意識が低かった。そのうえ、父は(人格者ではあるが)民を虐げてる。そのうえに非道な婿になど国を乗っ取られたらもうこの国はおしまいだから、こうなったら私が王位を継ぎたい!」と薄々思ってたところにアラジンとの出会いがあって人生初の恋をして女意識に目覚め、そこから当然苦難が襲いかかってくるけれども真に女の味方であるアラジンとの協同によって一皮剥けた最高の女性へと変身。。。。という成長(ジャンヌダルク的な気持ちとマリーアントワネット的気持ちをクレオパトラ的に止揚していった感じ?)を丁寧に描けば、やっと王道。
王道に至らないこの脚本の、言いたかったことが私はわからない。お飾り以上のアラジンの魅力は後半隠れちゃってたからアラジンの本質的かっこよさが主題だったとも思えないし。それに第一、「三つのお願い」をどう言いどう叶えてもらうか自体が完全他力本願話なのだから、アラジンは英雄にはなりえない。
じゃあ、やっぱりジーニーが主役? ところがジーニー発の理屈のやりとりは、スペクタクル映画を支えるには小難しくて。願う手順をめぐる約束事とか何たらかんたらで、話が縮んでる。大冒険映画じゃなく漫才的な掛け合いでしか楽しませてくれない。それならそれで、ジーニーと侍女とのロマンスのほうにもっと時間を割けばよかったんだ。

てことで、CGご苦労さん、な映画でしかなかった。怪獣映画だけ観たほうがたぶんマシ。
なぜディズニーは今頃こんな実写化リメイクにばかり走る? そのからくりはとっくに知れてる。いつ頃からかアメリカ映画界に深く入り込んだ多数のCGデザイナーオペレーターたちを食べさせるために、アメリカはずっとずっとCG映画を作りつづけなきゃいけない、ってだけ。常に確実に集客できて、なおかつCG不要論を押しのけるためには、「ファンタジー系のお話で、既にアニメでヒット済みの内容」が求められる。それでディズニーアニメの実写化が続いてるんだよ。
在日米軍基地のあちこちで、毎年7月4日頃にアメリカフェストが開かれる。そこでハンバーガーやポテトやピザの屋台が出て、ふだん米軍基地に入れないもんだから日本人客たちが「本場のバーガー、ウマ!」と大喜びする。が、じつはそこで出されるものの多くが、基地内の軍人軍属&家族用の、備蓄食糧の、賞味期限切れ品なのだ。年に一回、米軍はそれらを一気に処分する、その機会が日本人向けフェストってわけ。ディズニー実写化には、そんな程度の事情だけがある。

ここまで書いた私ちゃんも、ご苦労さんでした。



[吉祥寺オデヲン  ←前席に人が座ると字幕が隠れる]