ケンヤム

魂のゆくえのケンヤムのレビュー・感想・評価

魂のゆくえ(2017年製作の映画)
4.8
映画館の暗闇が醸し出す閉塞感が好きだ。
その閉塞感から逃れるために、私たちは集ってスクリーンを見つめる。スクリーンの奥にある解放という錯覚。
この映画の暴力は内にこもりこもったままエンディングを迎える。
同じポールシュレイダー脚本のタクシードライバーにおけるトラヴィスの暴力衝動のようなものは一応発散されたわけだが、この映画における主人公の息子の死というトラウマからの解放=暴力衝動は徹底して自己へと向かっていく。
自己懲罰は自己愛と同義だ。
閉塞感からの解放を志向する運動としての自己懲罰。
自爆テロは閉塞感を打ち破る。
瞬間的に打ち破ってその絶頂で主体者は消え失せてしまう。その時テロリストは解放感と一体化するのだ。
現代的な自罰的暴力。外っ側に発散する機会がなく、内っ側にこもるしかない暴力が反転して最大限の発散として周囲を襲う自爆テロという現代的な閉塞感が生み出した暴力。
自己愛に取り憑かれたトラーは、有刺鉄線を自分に巻きつけて、痛みによって自身の輪郭を確認する。
そんなことしなくたって、誰かに抱いてもらって確認して貰えば良いのに、それを自分に許せず自罰的な行為に突っ走っていくトラーを抱きしめてくれるあの女は聖母マリアだ。
トラーが待ち望み続けた救済という名の幻影があの女なのか。
有刺鉄線を巻きつけた身体ほど抱き難い身体はない。
暴力の発散する場所を探さずにはいられない私たち人間の原罪をとにかく発散してくれる場所を私たちは必要としている。
スクリーンの中に発散すればいいと思う。
暴力的な願望は全てスクリーンに委ねればいいと思う。
イライラしたらただ暴力的な映像を観ればいいと思う。
あのラストの暴力的な抱擁。
抱擁があれほどまでに暴力的であるということを知らなかった。
ほとんど自爆テロに近い抱擁。
なにもかも抱きかかえて破滅に向かっていくような抱擁に憧れる自分を今すぐ罰せねばと思った。
誰か、俺を、抱いてくれ。
ケンヤム

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