あきらむ

魂のゆくえのあきらむのレビュー・感想・評価

魂のゆくえ(2017年製作の映画)
4.3
このカット何なんだろう…と退屈な場面もあるのですが、全て見終わるとしみじみと退屈だと思った場面を思い出したりして、とても味わい深い映画。もう1回上映期間中に観たい。もう1回観たら退屈な場面はなくなっているのではないだろうか。

神父が教会の体制に疑問を持ち殉教の意思をもって立ち向かう話。

とはいえ、トラー神父が訴えかけたところで観光施設と化した教会の神父の発言力は弱くて聞き入れられないので、神父は病気を悪化させ自傷してテロを起こして「殉教」することで立ち向かう道へ進もうとするのだ。
誤った馬鹿げた道だろうか。
序盤である人物の死と葬式がある。正直その人物の主張も葬式も全て痛いというか笑えるというか不自然。しかし、神父と共にその人物の思想を辿っていくとその人物の意思や無力感が伝わってきて、笑えるなと思ってしまった自分が恥ずかしくなる。
無力な我々は、怒りや主張を自傷やテロという形でしか発散できないのか。自分が所属する仕組みの違和感や理不尽さにまともに向き合って、正気でいられる人間なんているのだろうか?まともに向き合ってデモをしても駄目なら自己嫌悪や自傷行為での抗議になるしかないのか?

キリスト教という宗教の運営のために、宗教の大切な部分を失っていく教会。それは何なんだろう。最早支援する企業の広告でしかない。トラー神父が教会の経営に絡むことをする場面は尽く偽善的で退屈で腹が立つ。大地を破壊する人間を神は許すのか?、そんな疑問さえ教会は誤魔化す。

トラーは自分の孤独や絶望のよりどころとしてキリスト教を信仰している。「孤独な人間も神の示したもの」と言い聞かせながら、自分から元妻の親切に対して嫌悪感とつのらせ「つまづかせる小石だ」と遠ざけていく様子には痛々しい。

トラーの家は無機質で簡素で、虚無感が漂っている。その中で怒りや矛盾や絶望が熟成され、結末へ向かっていく。
メアリーの存在が唯一の救いで、メアリーが本当に可愛く神秘的だ。