TOSHI

search/サーチのTOSHIのレビュー・感想・評価

search/サーチ(2018年製作の映画)
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私はよく、毎週、毎週こんなに多くの新作映画が公開される必要があるのかと思う。何故なら、殆どの新作映画は、コンセプトや方法論が新しい訳ではなく、既存のジャンル・手法の範疇で作られた、たまたま今までなかった作品に過ぎないからだ。特に日本映画には、そういった傾向が強いと感じるが、そんな作品が、量産されても仕方がないだろう。逆に、私が長年映画を観続けているのは、今までにない、コンセプトや方法論自体が新しい映画を観たいからだ。過去に掃いて捨てる程、映画はあるのに、新たに映画を作ろうというなら、作り手には新たな発想・アプローチが必要な筈だ。本作は年に何本かはある、そんな新しい映画だ。全編、パソコンの画面映像で展開されるという、コンセプトが斬新である。
友人と宿題をするというメッセージを残し、家出なのか、誘拐なのかも分からないまま、忽然と姿を消した、女子高生のマーゴット(ミシェル・ラー)。娘を案ずる父・デビッド(ジョン・チョー)は、彼女のパソコンで、インスタグラム・フェイスブック・ツイッター等のSNSにアクセスを試みる。親世代がパソコンを駆使する姿は、従来の映画では描かれなかっただろう。パスワードを変更して、SNSを見る事に成功し、繋がっている友だちに片っ端から電話する事で、学校では孤立している上に、月謝を渡していたピアノ教室に行っていなかった事や、怪しげな男友達等、デビッドが知らなかったマーゴットの裏の顔が明らかになっていく過程が、スリリングだ。
捜査はヴィック捜査官(デヴラ・メッシング)が担当し、また妻は亡くなっている事から、弟のピーター(ジョセフ・リー)がデビッドを支えるが、デビッドとヴィック捜査官・ピーターとのやり取りが、フェイスタイム中心に行われる様が、スピーディーに描かれる。
情報量の多いパソコン画面が、映画スクリーンでの映像表現に昇華されているのに加え、機械的な筈のパソコン画面から、入力される文章やマウスカーソルの動き等によって、デビッドの感情が伝わってくるかのような表現が、秀逸だ。中盤以降、事件に進展があり公開捜査になるが、ニュース映像をパソコンで観ている体裁になるのも、上手いアイディアだ。
特に若い世代には、自分の居場所はインターネット上であると考える人が多いという。実際には会った事もないが、ネットでだけ繋がる人間関係。そしてその中で露わにする、現実では見せない本当の自分。現実に満足できない多くの人は、リアルをネットに求めざるを得ないのだろう。SNS、動画配信、ビデオ通話アプリ等のツールによるコミュニケーションが、現実のコミュニケーションと同等以上にリアルに感じる現代人を刺激する、かつてない作品世界が生み出されている。玉石混交の情報があらゆる形でリンクし、検索エンジンによる“サーチ”によって、一発で芋づる式に取り出せる、便利だが危うい現代社会の怖さも感じられる。「パソコン画面の中の人達」は、現代人をアイロニカルに表現した、映画的飛躍なのだ。
注目すべきは、外観の見せ方は新しいが、中身はオーソドックスな作りである事だろう。中身はあくまで、父の娘への愛情を掘り下げた人間ドラマであり(見せ方の新しさと父娘の愛という観点では、先日観たタイ映画、バッド・ジーニアスと共通する部分がある)、二転・三転の見応えのある、本格的ミステリーになっている。マーゴットの失踪に関わる犯人像には、意表を突かれた。
全編パソコン画面という見せ方が、奇をてらっただけの物にならないのは、オーソドックスな映画を撮る力のある作り手が、冒険をしているからだろう。GoogleのCM演出をしていたというインド系アメリカ人・アニーシュ・チャガンティ監督の手腕に唸った。

結末に意外性のある、本格的ミステリーというだけでも、凡百の新作映画に比べれば、作られる意味はあるだろうが、映画は映像表現である事に自覚的で、映像表現として冒険する事で、本作の価値は数段高まっていると言えるだろう。自分はこういう映画を“目撃”するために、映画を観続けているのだと思える一本だ。
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