真実の作品情報・感想・評価

上映館(46館)

「真実」に投稿された感想・評価

【吹替版】
〇'19 10/11〜24公開: テアトルサンク
〇'19 10/11〜24公開: 福井コロナ
〇'19 10/11〜31公開: 鯖江アレックス
DCP上映
LPCM


【字幕版】
〇'19 10/11〜11/7公開: テアトルサンク
●'19 10/11〜11/14公開: 福井コロナ
〇'19 10/11〜11/7公開: 鯖江アレックス
配給: ギャガ
提供: ギャガ/フジテレビジョン/AOI Pro.
ワイド(ARRI/ビスタ)
音声仕様表示無し
11/13 23:20〜 福井コロナ シネマ9にて観賞
DCP上映
LPCM
パンフ未購入
※御一人様観賞
メインタイトルに字幕で<<真実>>と邦題表記。

そんなに絶賛の声を聞かなかったが、いいじゃんこの雰囲気。
母と娘の話が中心なので、完全に男性陣は助演に回っていたが、みんなのいい味出していた。(出番が増える特別編集版でどう金城学院前変わるか?)
主人公の娘役もなかなか良かった。ピエールとピエールが同時に出ない所のファンタジックな味付けも好き。
エンドクレジットのアウトテイク映像、ドヌーブはトト(犬)のウンチの始末してないよね?w
カカポ

カカポの感想・評価

4.0
柔らかな秋の光は大きなガラスの窓を通って部屋を照らし、庭の木々は葉を落として家の周りを包む。母と娘とその家族がその中で暮らしているのを私はその場の空気になって見ていた。それほどに透明な芝居。

決して大きな出来事が起こるわけでもないし、声を荒げるような場面もない。でも見てしまう。目がその表情を、仕草を追ってしまう。そうだよね。本当は人生ってどんなに複雑な感情を抱いても、演技みたい怒ったり泣き崩れたりってしないよね。だからこそその時の緻密な感情を吸い上げて芝居にするのが女優の仕事。24/7全部が女優にとっては仕事。それがわかっていても他者からしたら一緒にいると孤独が深まる。

でもそれによって見えっ張りで嘘つきで、でも女優という人生に魂を捧げてるファビエンヌという人が余計愛しく感じられた。私は多分ずっとこの映画をリュミエールの視線で見ていたんだと思う。彼女は人生を芝居に売った自由で奔放でひどい母親だったかもしれない。でも自分以外の誰かにそう言われたらきっとそいつを絶対に許さない。そう言う関係なんだと思うし、多分それはまた確かに愛なんだよな。

どんなに願っても手に入らない母。その母を見続け、目を背けようとしたけどやはり見てしまう娘のリュミエールのいつも泣きそうな目に吸い寄せられてしまう。
最後の最後に二人が辿り着く抱擁も結局は母親にとっては芝居の種になる。でもあの和解を経たリュミエールにとってはそれすらもおかしくて嬉しかったんじゃないかな。だって彼女は女優である以前に彼女にとって一人しかいない母親なんだもん。

シャルロットが手すりをポンポン叩きながら降りて行ったり、父親と話しながら帽子をクルクル回したりするのも自然で演技の中ということを思わず忘れてしまう。本当にこの人は人をそのままでいさせることが上手いなあ〜
wako

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3.5
一冊小説を読んだような本だった
日本の物語じゃないのに邦画の空気感なのが不思議。なんだろう…音と編集だろうか?あと、家族の距離感も。
良い意味で通常営業なのがすごい。
ちゃんと是枝監督の映画だった。
子役の演出、さすがすぎる。

レコーダーのセリフ
消えちゃったシーンが一番好きだった。

転がした木の実?を
犬が気にしてないシーンも素敵だった。
登場人物がみんな愛おしい。

マノンが階段登ってきて手を挙げるシーンも、セットの異様さ含めて印象に残った。

欲を言えば、
もうちょっとロングショットを観たかった気分。

ジュリエットビノシュ、美しい…
杉山

杉山の感想・評価

3.5
忘れた
korin

korinの感想・評価

3.8
フランス映画だけどちゃんと是枝監督作品だった。流石の子役使いと何も起きなさ。笑
ドロッドロの愛憎劇かと思えば、是枝監督らしく小さないざこざを描いた物語。ただし、あまりにサスペンス的なエッセンスがなく、どこか物足りないまま終わってしまった。
イーサン・ホークの情けない父親役には、思わず癒された。
my

myの感想・評価

3.1
サラの亡霊は夜の森へ還る。一方彼女たちは陽光の下連れ立ってサラと同じ方向へ向かいながら、別の方面を一緒に仰ぎ見る。その時彼女たちの見た空はなく、空から見下ろす視点にも人称はない。死者の問題は肩透かしに懐かしい思い出程度であり、情念などないかのように。ルノワールなら感情とマテリアルを壮麗に演奏しただろう。

必要にかられての観賞。
思ったより思ったほどだった。まったりとした。
現在も第一線で活躍する撮影監督エリック・ゴーティエの起用は、はっきりと無駄遣い。(彼の人は「Pola X」と「Aloha」を撮った人なのよ是枝さん)ゴーティエは単なる仕事としてここにいる、呼ばれた栄誉のためだけに。相変わらずトラッキングとパンの流麗な移動もあるし、ここぞという女優陣のアップもいいというか普通、というか微妙...。

ドヌーヴはドヌーヴである。少女のようなわがままな可憐さは一興。もう名誉会長でなにも言うことはない。単独で映る画面は誰よりも引き締まっていた。シーン始まりのカットで、どんとソファに座っているドヌーヴをヴィスタサイズの画面で観ると、すぐにあれやこれやの過去の彼女の名作が思い浮かんでしまうのは、やはり彼女の体はすごいものを纏っている。秘書役の老紳士リュック(アラン・リボル)の顔のありかたがブニュエル的人物にも見えて、余計にそわそわした。エミー後のガウンを纏った明け方の少女=老婆のドヌーヴの顔は素晴らしかった。廊下に茫然と立ち尽くす彼女を、扉越しにカメラは映していた。ただこの20年、ドヌーヴで母娘、母の秘密的なものの役が多すぎて飽きたし、もう少し残酷で強欲な母でいいだろう、やるならママン。ビノシュも夏時間の庭のように見える。新進の女優役を本当に映画初出演の新人女優を持ってくるのはよかった。映画内映画の女優役の女優が一番女優として撮られていた複雑さ。

マノン・ルノワール役、マノン・クラヴェル。彼女の声と顔だけが真実だった。薄暗く青白い階段を上る彼女の足からなるショットの始まりや、あの恥じらいと歓喜、驚きを体現するような屈託のない微笑みの正面気味のバストショットの彼女は、顔として、あの瞬間、この映画で一番生き生きとしていたし、ドヌーブの台詞で強くて何が悪いという言葉があったが、若い女優がすべてをかっさらって追憶の歴史を背負い、邸を去るその後ろ姿のロングを眺めるしかないもう歳若くはない母娘の映画内の女優たちは、そのまま幾重にも重なる老いのテーマをリアルに体現している。(ひさしぶりのリュディヴィーヌ・サニエの輝きは消え去っていて悲しかった。)出番は少ないが、無音の顔のイメージすら付与されるこの夢のような女優(「サラの亡霊」)は、監督に当初の役名から彼女の実名へと変更されたように「海街diary」の広瀬すずと同様の位置にいたのかもしれない。あらゆる物語の振動の橋渡しに、このハスキーな声(信じられないほど魅力的!)の美女が映画、映画内映画、人生の接点を繋いでいく。彼女が果たして本当に類似していたかどうかは、この映画の中では見せられない。ただ裏手の刑務所と高い壁に囲まれた屋敷の主人公たちは、この名の知れぬ生に溢れるスミレを、ソファに座り鑑賞し品定めをする凡庸な審査員のように、どこまでも静的な観客に徹する。見送りまでついているのだから呑気に豪奢なものです。

物語のメタ的なことはまったく頭に入らず、何の感慨もないが、撮影ギリギリまで改稿を重ねるいつもの是枝の脚本作業は、単純によくないと思う。製作費からかメインの家と移動時の車と撮影所のスタジオはそんなに風通しのいい牢獄には見えないし、ロングショットは限定的に示されもするが、きれいと形容されるパリの冬の空は映されず、どこまでも中途半端な人物のフォロー(何箇所か限りなくいい加減な二人の人物間の微妙すぎるカメラのフォローと、タイトすぎるツーショットのシーン終わりのカット、まったく何が映ってるのか釈然としないダンスシーンなど、ゴーティエにしては杜撰すぎるというか、監督の指示のもと初期のいい加減さ(デプレシャン)を許容され、それでも撮影は進むという煮え切らないもどかしさはあっただろう)

映画は閉鎖的で観念的になり、結局何もはっきりしない。その曖昧さが、ある邸宅の家族の映画なのだろうが、フランスと言えども、無名の子役、少女たち2人で田舎を冒険させた諏訪の映画の方が遥かに面白いのは言うまでもないし、そろそろ是枝も脚本は別な人に書かせた方がいいのではないか。イーサン・ホークはポルトガルへ行くべきだ。こんな陽光の下で観ても何も思わないぞ。ときには食べたくなる大福餅のような映画だった。さすがは分福です。試写会でただで観るにはちょうどいいでしょう。次作はまたサスペンスを期待しよう。この映画の鈍刀な雰囲気のなかで、マノン・クラヴェルに反応しただけかもしれない。それにしても役名にルノワールとつけるのは、いささか調子に乗りすぎではないでしょうか。ガレル作品で観てみたいものです。
yuho

yuhoの感想・評価

3.7
構成が分かりやすくて思ったより飽きずに観れた。
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