クローネンバーグ監督の世界観が確立していると思うので、ジェレミー・アイアンズの凄さはさておき、赤や青の色使いとか、器具の形状や金属の質感とか、そんな一つ一つのディテールについて今更述べるのは恥ずかしいと感じる作品だった。
先輩方と同じレビューを書いても意味がないので、それ以外を書くと、終盤の展開は意外だった。幼少期からずっと、表面的にはエリオットが光、ビヴァリーが影に見えたから、同じ結末を辿るにしても、最後のそれぞれの立場は逆だと思ってた。
だから一体どの段階で逆転した?、或いは、入れ替わったのだろう?と、もう一度観返して探したが、ここだ!という本質的な分岐点を見つけることはできなかった。という事は、最初から光と影も、逆転も、無かったのかもしれない。この二人の変容と、その過程の描き方が、どの瞬間も、緻密で深い。
そしてクレア。ジュヌヴィエーヴ・ビュジョルドは勿論魅力的だけど、あらすじに書いてある"双子の前に現れる美人女優"のイメージとは年齢も容姿も少し違う。だって良い意味で、老けて見えるもん。
それが、このドラマと対極にある、奇妙な生温かさと、避けられない必然性を感じさせる。観客の潜在意識の中で、マントル兄弟の親が一度も登場しないことと、何らか結び付いている気がする。