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ビューティフル・ボーイのyukieのレビュー・感想・評価

ビューティフル・ボーイ(2018年製作の映画)
5.0
息子がドラッグをやり、
父親はやめさせたい一心で
息子に関わろうとするなかで
つい、ドラッグが存在しない昔のことを
振り返ってしまう。
何が悪かったのか。
何が狂わせたか。

2時間、ただその繰り返しで
時系列もあえて曖昧にしてある。

このつまらなさ、普通さ、が
ドラッグの抜け出せない苦痛を際立たせる。

世界中が恋するティモシーシャラメが
全身全霊で中毒者を演じているからこそ、
本当に価値がある映画だと思う。

ドラッグは“流行”で
極めて手に入りやすい。
大学寮などでは、なおのこと。
身近だから、手に入るからやる。
孤独とか家庭環境とか人格とか
そんな問題は
人類皆抱えているのである。
やるやらないの違いは、
それが身近かどうか。手に届くところにあるかどうか。
やめるにはAAのようなやり方で
更生施設なりサポーターなりつけて...
そうはいかない。
神も善意も関係ない。
神経が死んでいるから。
クリスタルメスの場合、
恐怖を司る脳神経が死に、
薬がないと常に恐れを感じ暴力的になる。
ヘロインは製薬会社がつくったものだ。
ハイになり離脱を繰り返す方法が
はっきりしているため、薬物自体は、
時に法律も追いつかないほど、
たやすく加工できる。
ただ、エンドルフィンまたは
ドーパミンを過剰に出させれば
あとは勝手に人間がついてくる。

他人が酩酊して、ゲロを吐いて、
暴言を吐いて、無力に泣いている
別にみたくない内容なのだが、
ティモシーシャラメとスティーブカレルだから、観たい映像になっていた。
光や音楽も爽やかにしてある。
私たち“普通の人”に心から届けようとしている映画だと思う。


日本は、欧米に比べたら
薬物は蔓延していないかもしれない。
しかし、喫煙・ギャンブル・アルコール・過食・砂糖・セックス・ショッピング・ゲーム・SNSなどの依存者の数を考えると
依存ポテンシャルは全く同じである。
脳機能が完成されていない10代のときに
ファッションとして友達に薬を渡されたら
断れる意志がどれくらいあるだろうか。
ニックが彼女の家で退屈しのぎに
アデロールか何かの処方薬に手を出し、
何食わぬ顔で食事に戻り
作り笑いするシーンが印象的だ。

「ダメ、絶対」
では伝わらない。
なぜダメなのかを教えてくれる作品。
ティモシーシャラメの影響力で、
世界の若者に警鐘を鳴らしている。

キーとなる劇中詩は、
わかるようなわからないような
曖昧さが残り、再び調べて、
物語を反芻するきっかけになった。

親子の愛を超える薬物の力の話である。
この父子の愛はとても強い。
ものすごく互いを大切に思っている。
一般的な家族よりもう全然。家も素敵だし。
愛ある豊かな家なのだ。
クスリは嘲笑う。

“The less I needed, the better I felt.”
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