Iri17

銃のIri17のネタバレレビュー・内容・結末

(2018年製作の映画)
4.7

このレビューはネタバレを含みます

ネットの評価を見ても、一緒に観に行った人と話しても低評価ですが、素晴らしいと思う。原作未読。

ある日手に入れた「銃」によって心の均衡を崩していく、主人公。そしてほぼ全編モノクロ。この辺は塚本晋也監督の『バレット・バレエ』にも似ている。

「銃」は力の象徴である。そして力は人を狂わす。例えば日本には数え切れないほどのパワハラ・セクハラクソ親父がいるわけだが、なぜ彼らはそんなことができるのか?それは上司という地位の「銃」、男というジェンダーの「銃」で武装しているからだろう。本当はこんなこと良くないと分かっていたり、相手の気持ちになって考えれば分かるはずなのに、分からない。それは地位や性差という「銃」が彼らを狂気に落としているからだろう。本当は地位やジェンダー差の力など極限の状態になったら無意味だ。
主人公は親に捨てられたという経験から、他人を信じられず、心からの繋がりを持つことが出来ない。そしてこの世の一切は無意味だというニヒリズムを感じている。そんな彼が「銃」という力を手に入れたことで、自由を手に入れたと錯覚する。誰かを殺すことも、守ることもできるという錯覚である。でも本当にそうだろうか?銃を撃てば相手は死ぬだろうし、大切な人を傷付ける人を殺せるだろう。しかし、相手は死んでも自分は捕まるし、周りの人は更に深い傷を負うことになるだろう。

そしてこの映画に描かれているもう一つのテーマが父殺しと母への欲情だ。この2つはギリシア悲劇における重要なモチーフであり(オレステイアなど)、フロイトも人は無意識にこのような欲望を感じているとしている。主人公は両親に捨てられた経験が彼のトラウマになり、狂気の動力源になっている。彼は父を乗り越えたいし、母に愛されたかったのだ。だから病気の父親に酷い言葉を吐くし、主人公を演じる村上虹郎が撃ち殺すチンピラが村上淳なのだ。
そして母親を象徴するのが広瀬アリス演じる女子だと思う。彼女は最初から誘う気満々のセフレの子と違い、あくまで真摯に向き合う。だから恋人というより、むしろ母親として彼女を見ている。彼女に家に誘われてイコうと思えばイケるシチュエーションでも彼女を拒んだのはそういう意味だと思う。彼の狂気を止める役割を担うのも彼女である。

ラスト、主人公は銃を捨てたのか、それとも人を殺したのか。僕は銃を捨てることはできなかったと思う。人を殺してモノクロームからカラーに変わる。これは力を行使して皮肉的に人生に意味を見出したからだと思う。

村上虹郎の演技は素晴らしかったし、広瀬アリスはキャリア史上最高の演技だったと思う。あの役はアリスだから出来たのであって、すずには出来ないでしょう。
1940年代のフランス産フィルムノワールみたいでとても素晴らしい映画だったと思います。
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