茶一郎

ハロウィンの茶一郎のレビュー・感想・評価

ハロウィン(2018年製作の映画)
4.0
 「備えあれば憂いなし」準備と対策の素晴らしさを教えてくれる優等生すぎる続編『ハロウィン』。『ジョン・カーペンターのハロウィン』以外全てを無かったことにし、その前作・ハロウィンの惨劇から現実と同じく40年後の世界を描いていきます。
 本作の製作ジェイソン・ブラムが「ハロウィン」シリーズの粗製乱造を「最低な続編」と切り捨てた通り、正直、何が何やら把握できないほどに続編が多い「ハロウィン」シリーズで「一体、今更何を作るのやら」と思って観ましたが、これがとても優れた続編!オマージュといった形から入る所はもちろん、映像・技術的にもアップデートした現代の女性映画に仕上がっていたので驚きます。

 本作『ハロウィン』の勝因は、『ジョン・カーペンターのハロウィン』と視点を真逆にしたという一点に尽きます。言うまでもなく『ジョン・カーペンターのハロウィン』はブギーマンたるマイケルのPOV映像から始まる、マイケル視点が軸の映画です。一方、本作『ハロウィン』では視点を被害者である惨劇の唯一の生き残り、ローリーに移します。この視点の反転には驚かされますが、もっと驚くのはローリーのキャラクター造形です。
 何とローリーは40年間をブギーマン対策に費やし、自宅を監視カメラと鉄柵に囲ませ、また銃の備蓄、狙撃練習場を完備するというビフォー・アフターの匠も腰を抜かす魔改造を施していました。加えて、もっと笑うのは幼い娘に銃の取り扱い、格闘術を習得させるスパルタ教育を施し、最終的に州に娘を保護されてしまうのです。

 このローリーの笑ってしまうほどに狂ったブギーマン対策は、より『ハロウィン』における「狂気の伝播」を強調させます。マイケルが精神病院に収監されているように、ローリーは自身を鉄の扉の家に収監させ、また興味深いのは『ジョン・カーペンターのハロウィン』において高校生だったローリーが授業中に窓の外に観たマイケルが、本作ではローリーの孫娘が授業中に窓の外に見る老いたローリーに置き換わっていました。
 全編でのマイケルとローリーとの対比は、二人の狂気の鏡写りを表し、この『ハロウィン』は狂った二人の衝突を描いていきます。
 
 視点の逆転、ローリーの余りにも狂った変貌に驚きながら、本作『ハロウィン』が80年代のスプラッタ映画を忠実に描いた後、現代の女性映画に辿り着く事にさらに驚きます。
 もちろん40年間をブギーマン対策に費やし、「マイケルが脱走する事を祈っている」とまで言っているローリー、マイケルの脱走に僅かに動じながらも徹底的にその予習の成果を発揮していきました。かつて「絶叫クイーン」と呼ばれたローリー、ジェイミー・リー・カーティスは本作『ハロウィン』においてはほとんど絶叫する事なくブギーマンを対処していくのです。
 もちろん『ジョン・カーペンターのハロウィン』、『ハロウィン』における「ブギーマン」というのは授業中に言及されるよう逃れる事のできない「運命」の象徴、「死」の象徴であります。40年間の時を経て、ローリーは再びその運命の象徴たるブギーマンと向き合い、ようやく運命を乗り越える事になります。これを#Metoo運動についての映画として見ても良いでしょう、また監督であるデヴィッド・ゴードン・グリーンの前作にあたる『ボストン・ストロング』のようなPTSDとテロの恐怖に打ち勝った現代のヒーローの映画と見ても良いでしょう。
 兎にも角にも、ローリーという一人の女性は運命に勝ったのです。ここに興奮を覚えない訳がありません。

 そしてマイケルの狂気が、ローリーに伝播したように、また一人、そして最後にまた一人と伝染を続けていきます。おそらくここからは『ハロウィン4』以後のジェイミー三部作に繋がるでしょうから、続編の製作を気長に待ちたい所です。とても優秀で、『ジョン・カーペンターのハロウィン』に忠実な見事なホラー映画であり、見事な『ハロウィン』でした。
茶一郎

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