このレビューはネタバレを含みます
別れの時に娘を悲しませたくないから
っていう理由で、
会いに行かないようにした、っていうのは、
本当の優しさなのかな
もし他におんなじエピソードがあったとしても、それぞれに、いろんな事情があるだろう。
ワーカーホリックになるくらいに自分に空いてしまった穴を
どうにかできていたら、
家族の形は違っていたかもしれないけれど、、、
あの親子の場合、あの選択をしなければ、父親自身が自分の価値を見失ってもっとひどいことが起こっていたかもしれない。
だから、
いつだって、
人は、その時の自分ができうる最善を選んで生きているのだと思う。
ハタから見たら、
また、
過去の自分を振り返ったら、
もっと違う道があったのではないかと
正論を述べられたり、
後悔することはあったとしても。
その時は、そうするしかなかったんだよね、きっと…
そして、
人は、
自分が得た範囲の情報で、
自分の持った傷や、そこから生まれた価値観で、物事を解釈している。
事実は、違っていたとしても。
大切なものは目に見えない
というけれど、
本当にこの人に愛されているのか、なんて、
プレゼントの数や会いに来てくれた回数や
言ってくれた言葉や、
そういうものだけでは判断できないのだと思う。
同時に、心で、感じ取らなければ。
(だけど、精神が幼いと、目に見える形あるものや、優しい言葉や抱きしめられた数や、そういう実感が持てるものも多めに必要なのかな、という気もする。)
物事というのは、
目の前のことだけ見て、よかったとか最悪とか判断できないものだと思う。
長い目で見たら。
万事塞翁が馬。
だから、たぶん、
起きることは、どう見ても最悪なことだとしても、実は今の自分に常にベストなタイミングでベストなことが起きているのだと思う。
そこから何を受けとるか、
そしてどう活かすか。
時には
どうみてもおかしいと思えるようなことだとしても、
自分のほうがおかしいのかも、って
気づかせるために起こってくれてるのかもしれないなあ、とも思う。
自分とは全然関係ないとみえる出来事も、
巡り巡って自分のもとに何かしら影響しているもの。
わたしは、
わたしに影響してくれるすべてのことを、
ゆとりを持って見ることができる自分でいたいなあと思う。