sanbon

ヘイト・ユー・ギブのsanbonのレビュー・感想・評価

ヘイト・ユー・ギブ(2018年製作の映画)
4.2
※以下、本レビューは「ヘイトユーギブ」のネタバレを含み、また個人的な黒人差別に対する意識や見解を多く述べている為、その点をご憂慮頂いたうえで閲覧下さい。

人種差別を取り扱った映画はハッキリ言って苦手だ。

何故なら、鎖国文化の島国であった日本にとって、多種族が地平を共有する事で生まれる因縁を、本当の意味で受け取り理解するにはあまりにも親近感が薄く見識を欠いてしまい、問題提起が主題の映画にあってその置いてけぼり感はかなり致命的となってしまうと感じるからだ。

肌の色だけでつけられた序列が当時どれほど酷いもので、今でもそれがどれだけ深く根を張っているのか、そんなもの勉強をすればいくらでも分かる事ではある。

ただ、それはあくまで知識上の話であり、そこに横たわる当事者が抱く感情までを補完するにはとても及ばない。

これまでも「ホテルルワンダ」を始めとし、史実に基づいた黒人差別が題材の映画は何本も見る機会があったものの、その都度感じるのは酷い仕打ちを受け迫害される黒人への悲惨さだけであった。

しかも、それを感じたからといって白人に対して嫌悪する訳でも、敵対意識が芽生える訳でもない。

日本人には、どうして黒人は白人にここまで忌み嫌われ、人としての尊厳が簡単に踏みにじられる歴史が生まれてしまったのか、真に理解するのは難しい。

それは、核兵器に対する考え方が日本人と他国民とで、どうしても差異があるのと似ているのかもしれない。

差別問題の映画を観ると、そんな根っこの部分が理解出来ず、ただ嫌な気持ちになる傍観者でしかいられない自分に居心地の悪さを感じてしまうのだ。

また、戦争を全く知らない世代であり、銃社会で暮らした事すらない僕のような日本人にとっては、これほどまでに絵空事の様に感じてしまう社会問題もそうは無いと思う。

乱暴な言い方をすると、グロ動画を見て「うわぁ、グロぉ…」と捻りも感情も現実味もないような他人事としての感想しか湧き上がってこないのだ。

ただ、今回のヘイトユーギブは、原作がヤングアダルト小説の現代劇という事もあり、いつも感じていたただただやりきれないだけの映画とは一味違っていた。

まず、主人公を女子高生とした事により「白人社会で共存する」事を学園生活の中に落とし込み、非常に噛み砕いて説明をしてくれる。

自分が黒人である事を忘れたかのように「ラッパー口調は使わない」「スラングは使わない」など、ブラックカルチャーを全面的に禁止する独自のルールを設け、馬の合わない相手とも友達ごっこを演じ「学園」という名の「白人社会」に溶け込もうと、本当の自分を殺しながら生活を送る主人公。

これは、自分の本当に好きなものや、本音をひた隠しに日常生活を送る現代人にとって、非常に酷似した舞台設定であり「白人」と「黒人」の関係性を身近な例えとして連想させる優れた装置となっていた。

そこに、幼少より教育されてきた白人とトラブルになった時の振る舞い方を説くシーンなどを織り交ぜる事により、白人社会で生きる黒人としての生活感とはどういうものなのかを、より深く認識させている。

そうなると、これが本当に現代劇なのか?と、カルチャーショックすら受ける冒頭である。

そして、黒人である事による肩身の狭さを日常生活を通して見せる展開の後に訪れる非常にショッキングな事件。

実はこの事件には元ネタがあり、2009年カルフォルニアで起こった無抵抗の黒人青年を警官が射殺した「オスカー・グラント事件」をヒントに描かれたそうだ。

もう一度言うが、これが本当に現代劇なのか?と驚きを禁じ得なかった。

相手が黒人だったから。

相手が警官だったから。

そんな理由で人一人が何の罪もなく命を落とした事に罰が与えられない現実には絶句する。

そして、無実の幼馴染を目の前で射殺された事件をキッカケに、共存の為沈黙を守っていた主人公は社会が孕む矛盾に対して立ち上がる事を決意する。

だが、真実を知らない世間にとっては、「黒人だから」という理由だけで、幼馴染の死を犯罪だと思わない人もいた。

警官が車を停める時は色々想定する。

停めた事で噛み付いてくるドライバーと口論になる時は特にだ。

そうなると警官は考える、何か隠してるのか?もしや盗難車か?

若い女が隣に乗っていたらこうも考える、あの子は大丈夫か?ぶたれたりレイプされたりは?

仲間と話し出したら、注意を逸らそうとしてる可能性を頭に入れる。

なぜ注意を逸らそうとする?車に何か隠してるのか?ドラッグか?武器か?

ドライバーが罵った時は、まず口頭で注意しおさめるよう努めるが、それでも応じない場合は力づくで抑え込む。

けど相手が悪い事をしたとは限らない。

だからこそ調べる。

武器を持っていないか確かめるし、免許証をチェックして対象者には動くなと伝える。

それでもドアを開けたり、開いた窓に手を伸ばせば武器を出す危険がある。

銃が見えたと思えば躊躇はしない。

これが、自らの命をかけて警備をする立場から見た弁論であり、護身用として銃刀の所持が許された国ならではの自警の概念だろう。

しかし、これは「黒人に限る」場合であり、この話はこう続く。

銃が見えたと思っただけで警告は一切しないの?

場合による。

夜だったら?視界はどうか?一人で巡回中だったら?

じゃあ、その相手が白人で白人の暮らす地域での事だったら?

スーツを着て、ベンツに乗ってても、その人がドラッグの売人かもしれない。

もしその人が窓に手を伸ばしたら?それでも危険と思えば警告なしで発砲する?それともまずは手を上げろと警告する?

「…手を上げろと警告する。」

うーむ、これはやはり闇が深い問題であるが、それを作り上げたのもまた、原因は黒人を迫害し続けた白人にある。

黒人は迫害される事により貧困にあえぎ生活は荒廃する。

荒廃すると倫理や秩序が維持出来なくなり、犯罪が横行するようになる。

犯罪が横行すると被害は白人にまで及び、結果白人は更に黒人を危険視し迫害するようになる。

こうした負の無限ループにより形成されたのが黒人社会であり、この根底的な問題は無くす事はもはや不可能なのかもしれない。

今回の事件も、まさにその先入観から起きた悲劇なのだが、だからといって白人警官を全く擁護は出来ない。

が、この結末はそうはならない。

アメリカには業務上の過失は致し方なしとする法律でもあるのかとまで疑ってしまう。

どこまでもフィクションのような世界観に感じるが、これがアメリカでは今でも問題となっているのが現実だという。

そして、その判決が更なる確執へと発展していくところを見ると、やはり根本的な問題解決は無理だなと辟易してしまう。

だがそれでも「このどうしようもない世界に」「他人事のように表面だけを繕う同級生に」「権力に」「そして黒人を脅かす黒人に」対して、ハッキリと想いの丈をぶつける主人公の姿には号泣必至である。

重いながらも、これまでの類似作にない共感性の高さや、家族との強い絆、これまでにない着地のさせ方に満足度97%の謳い文句も納得の傑作であった。
sanbon

sanbon