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ペギー・グッゲンハイム アートに恋した大富豪のおしゃのレビュー・感想・評価

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この人がいなかったら卒論でマリノ・マリーニを書くことも無かったでしょう。教授からDVDを借りてようやく見れた。

ヴェネツィアのペギーグッゲンハイム美術館は、オープンでエネルギッシュで、そしてどこまでもパーソナルな美術館だった。ポロックのパトロンで、ベケットの恋人、マックスエルンストの妻で、デュシャンを師とし、戦時中はパリから多くの芸術家をアメリカに逃がした、20世紀の芸術の渦の中心にいた人物こそペギーだ。

どこまでも奔放で直感的で芸術と男を求め続けた女というイメージだったけど、加えて、自分の承認欲求と成功に対して貪欲で、かなり商才もあった人だったんだろう。もちろん彼女もとても微妙なバランスで成り立ってると思うが、それ以上に行動を伴うパワーは圧倒的で、ありえん程度で人を巻き込む女だ。男たちはしんどくなったら逃れられるからいいけど、子供はそうもいかない。息子はその力から逃れるように本能的に美術から離れたのかもしれないし、一方で娘・ペギーンは生まれた時からそのパワーに吸い寄せられてしまったんだ。悲しいペギーンの自殺はすごく想像できることだった。写真のなかのペギーの求めるような目つきよりも、娘ペギーンの違う世界を見つめる目は本当に危なくて全然知らない人なのにヒヤヒヤした。名だたる現代美術が並ぶグッゲンハイム美術館でも圧倒的だったペギーンの絵。幼い頃から子供とは思えない鬱々とした目つきをしていた一方で、絵だけはあんなに鮮明で生き生きとした太陽のようなものだったから、なんか本当に残酷だ、苦しい。

少女の頃に感じた物足りなさを埋めて埋めて、自分を満足させるために、極度に個人的且つナルシストに進んでいったペギーの願いはシンプルだと思う。ゆえに鋭く恐ろしいものである。その様子は、なんとなく女版ギャツビーのように思った。

ひとつ言えるのは、エネルギーをつくるもとに、人が集まってきて、そのエネルギーはエネルギーを呼び寄せること。常人ではないことがよくわかるドキュメンタリーだったが、良いとか悪いとかを越えて、見たことないものを見せてくれる人だったんだ。彼女がああだったから、わたしはマリーニを見れた。20世紀の名だたる芸術作品が、ヴェネツィアという、雑多で綺麗な港町に集結している。たまたま日本のわたしがそこに行けた。本当に不思議なことだ。

最後に。あのマリーニの騎馬像のペニス、取り外し式だったんや...枢機卿が通ると外したってゆる過ぎて笑った。作品にとっても大事な部分なのに。笑

あと、図書館で本を手に取るように絵をみれる美術館を作るって無茶面白かった。絵の角度を自分で変えられる。鑑賞者と絵の物理的な距離は心の距離なんだって。
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