Misa

僕はイエス様が嫌いのMisaのネタバレレビュー・内容・結末

僕はイエス様が嫌い(2019年製作の映画)
3.6

このレビューはネタバレを含みます

転校先の小学校が「キリスト教系」の学校だった。
どうにもこうにも「普通の学校ではない」と察する。
漠然と、神様はいないと思っている幼きユラ。
どうして存在しないものに、空虚に、祈るんだろう?
訳も分からず、毎朝礼拝に参加する。
「礼拝ってなんですか?朝礼?」
「そんなとこだよ」
周りの子供たちが当たり前に祈る姿に疑問を覚えつつも祈りを捧げるユラの無垢さ。

ふと、礼拝中に目を開けると校長先生のすぐそばに小さな胡散臭そうなおじさん。
(イエス様…?)
気付いていたのは僕だけなのだろうか?
ユラは教室をそっと抜け出して礼拝堂へ向かう。いつもより真剣に祈りを捧げると、現れる小指サイズのイエス様。
神々しさはあまりないがとりあえず、祈りを捧げてみるユラ。小さなお願いをすると、スイスイ面白いくらい叶って行く。
ユラは神を信じるようになった。

とある日、逃げ出した鶏を必死に追いかけるカズマと出会い、ひょんなきっかけで友達となる。サッカーが上手でカッコよくて優しいカズマ。
物静かで無口なユラの心を開く、大切な親友との出会い。一緒に流星群を見に行ったり、人生ゲームや、クリスマスはカズマの別荘へ連れて行って貰ったり。

お寺へ行き、ユラが「5円がいいんだよ」と言い2人でお賽銭を入れるシーン。
お正月だろうか。ユラは二拍手、カズマは手をしっかり組んで祈っている。イエス様がその姿を眺めてた。
ユラは神を信じないと話していたが、このシーンはツッコミどころが多くてクスッとした。
クリスマスとお正月と、日本って不思議な国だなあ。

そんなこんなで些細な当たり前の、幸せな日常がゆっくり過ぎて行く。

体育の授業の真っ最中、3連続でシュートを決めるカズマ。誰も敵わないといった雰囲気。
何を思ったのか試合中に急にUターンし家に帰るユラ。
驚く先生、驚くカズマ。
ここにはユラの大きなジェラシーを感じた、本当にカッコ良くて優しくて、何でも出来るカズマと自分を比較したのだろうか。
幼い頃、言葉に出来ないモヤモヤは、行動で示した。

帰宅し家で1人、人生ゲームをするユラ。

いつもユラとサッカーして遊ぶが、この日は1人でボールを蹴りながら帰るカズマ。

こんな些細な行動が、運命を分けることになるなんて、神様は意地悪だ。


交通事故にあったカズマを想い、毎朝クラスメイト全員で祈りを捧げる。「カズマが無事でありますように」画面を眺める私も一緒になって祈ってしまった。

ユラは何でも願いを叶えてくれたイエス様に祈りを捧げる。
けど、イエス様はカズマの病室に連れて行ってくれたのを最後に、現れてくれない。
どれだけ必死に祈っても、イエス様はユラの前には現れなかった。

「お祈り、意味なかったですね」

と先生にユラが告げるシーンはとっても苦しかった。
無駄なことではないのは分かっているけど、きちんと祈りを捧げ何でも叶えてくれたイエス様が、1番救いが欲しい瞬間に突然そっぽを向いた理不尽さにあっという間に神様を信じる気持ちが無くなってしまったユラ。

礼拝でカズマへの感謝の手紙を読み終え、お祈りをしようとした瞬間に現れるイエス様を、しっかり組んだ両の手で押しつぶす。今更出て来んじゃねぇよと言わんばかりに。

「僕はイエス様が嫌い」

ユラは神を信じなくなった訳ではない。
存在しないものに「嫌い」と言う感情は抱かないし「様」なんて付けない。私ならイエスの野郎って言う。
ただ、ちょっと「嫌い」になっただけ。

こんな幼いのに本当にほんの一瞬の間に沢山の経験をし、大切な親友を失い、この先ユラは重たい十字架を抱えて生きて行くのだろうか。
嫌いだけど、神様を信じているからまたいつか会えるだろうと信じて生きて欲しい。
ネガティブに陥りがちな題材だが、ユラが最後に襖に穴を開けて覗き込み微笑むシーンがとても良かった。
亡くなったおじいちゃんが何度も空ける度に塞いでた障子の穴。
ユラにはおじいちゃんと同じものが見えたかな。
また遠くない未来、シワシワのおじいちゃんになっても、ユラとカズマを必ず再会させてあげてください。私からも祈ります。
Misa

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