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僕はイエス様が嫌いのsatoshiのレビュー・感想・評価

僕はイエス様が嫌い(2019年製作の映画)
3.7
 だいぶ前に感想書いたのに、更新するの忘れてた。

 若干22歳の方が監督した作品。本作を知ったのはCSの番組でした。気になったのでHPを見てみればそうそうたる方々から推薦されており、「時間があったら鑑賞するか枠」に入れていました。そして去る8月の某日、時間ができたので鑑賞してきた次第です。

 本作には明解なストーリーはありません。東京から雪深い地方にあるミッション系の小学校に転向してきた少年、ユラをずっと、静かに映していくだけです。このユラを捉えた撮影が丁寧だと感じました。スタンダードサイズ、ワンシーン・ワンショットで撮られており、カメラはほとんど動きません。それによって監督の「こう撮る」というような明解な意思を感じさせます。カメラはユラの一挙一動をじっくりと映し、それが本作のホームビデオ感を出していて、ユラという少年の観察映画であることを印象付けています。そして、後述するように、この「観察する」ことが、本作のテーマとも密接にリンクしてくるのです。

 本作のテーマは、2017年に公開されたマーティン・スコセッシ監督作『沈黙-サイレンス-』と同じで、「神」についてです。ユラは突如出現した「小さなイエス様」にお願いして、友人を得ます。そこから中盤までは彼は友人と楽しい時を過ごします。しかし、その楽しい時間は、突然終了するのです。この時、いきなりフッと暗転するのが非常に不吉な印象を与えます。「楽しい時間は終わり」とでも言うように。

 とある不幸が起こってしまった後は、陰鬱な雰囲気が続きます。その不幸と苦しみに対して、作中のキリスト教徒の方々の「祈り」が実に虚しく見えてきます。祈っても、神は救ってくれないからです。それは「小さなイエス」も同じで、ユラの祈りを聞き入れてくれません。

 では、神は何をしているのか?それはラストで明示されます。ユラが障子を開け、「向こう側」を見た瞬間、カメラがどんどん上がっていくアレです。はためいているものを見れば、それがイエス様だということは明白。つまり、はっきりと「イエス視点」でユラたちが映されるのです。ここまで観ると、本作の撮影手法の意図が分かってきます。劇中で、カメラは常にユラを捉えていました。本作では、カメラの視点=神の視点=観客の視点です。つまり、観客はイエス様と視点を同じくしており、観客はイエス様よろしくユラを見守っている作りになっているのです。そういう意味では、本作は「観察映画」と命名してもいいのかもしれません。総じて、興味深い映画でした。