Kachi

マチネの終わりにのKachiのレビュー・感想・評価

マチネの終わりに(2019年製作の映画)
4.0
【過去の出来事の可変性と脆さを描く、現代人にとっての救いの作品】

※平野啓一郎作品の愛読者(全作品読了)であり、マチネは4回読んでいます。玄人視点でのレビューであることを予め断っておきます。

衒学的な表現が多く、登場人物も国際色豊かな原作を、映画としてどのように昇華するのか。私の関心事はまさにそこにありました。

では実際どうだったのかと言えば…原作のサブテーマを削ぎ落とし、核となる部分を浮き上がらせた作品だと振り返ります。ですので、あくまでも映画版「マチネの終わりに」であると割り切って本作を鑑賞する方が楽しめるかと思います。

また、私個人としては原作で変えて欲しいと思っていた箇所があり、そこが映画化されるに当たってしっかりとアレンジされています。

変更点を挙げるとキリがないですが、大きな点は下記3点です。

1. 時間軸(2019年11月に終わるような時間の流れを採用しています)
2. セリフ(原作はもっと長台詞が多く、思索的なやり取りが多いですが、バッサリと削っています)
3. 蒔野のマネジャー三谷の言動(ここが1番の変更点であり、かつ納得でした)

ここから、ネタバレを含めて雑感を書き綴っていきます。


本作は、宣伝文句にもある通り、福山雅治と石田ゆり子のダブル主演で大人な男女の恋愛を描いた作品である…と思われがちです。確かにその方が観客動員数が稼げるのでしょうが、私はあくまでもこの作品を、変化の多い現代人に捧げられた、救いの作品であると振り返ります。

自分の未来の予測可能性の確度が高い時代。あるいは、自分の生き方が生まれや身分、選んだ職業によって、未来がかなりの程度で規定されていた時代において、私たちはあまり多くを悩まず生きていけるように思います。多少の不満はあれど、今ある自分の境遇は「運命である」と割り切ることが賢く生きるための知恵であるようにさえ思われます。


では現代日本はどうか。
いうまでもなく、それは変化が激しく、今日信じていたことが、明日には否定される危うさを孕んでいる、そんな渦中に身を置いています。

そのような時代にあって、私たちはきっと、誰しもが判断を「誤り」ます。なぜあんなことをしてしまったのか、あるいはなぜしなかったのか…

ここで敢えて格好書きにしたのは、これからの行動如何で、この判断の「誤り」は、未来の自分、あるいは周りの人によって、異なる判断が加えられる余地があるからです。そして、そのことこそ、まさに平野啓一郎氏が原作で一番に伝えたいと思っていたメッセージであり、また私個人にとっての救いの思想でもあったからです。


蒔野聡史と小峰洋子の出逢いのシーン、2人の男女は少ない会話の中で、その思想をお互い持ち合わせていることを確認し、惹かれあっていきます。そして、蒔野のマネージャーはその意味を掴みかねるという対比が印象深く描かれています。


原作はそれで終わりですが、本作ではこのシーンを伏線にして、マネージャー三谷に重要な行動をさせます。それは、三谷が2人のすれ違いを生み出してしまった張本人であることに良心な呵責を感じ、遥々NYまで行って洋子に告白するというエピソードです。全てを打ち明け、2人の過去を良いものに変えようと奔走します。(赦しを乞うこともしません)

三谷は洋子に、蒔野との再会の場を作り、また夫となりNYデビュー講演へと向かう蒔野に対しては、2人の再会の末の決断さえも受容して送り出します。

この一連のシーンから、彼女自身も過去の出来事自体は変えられないけれども、過去の出来事の意味やその時芽生えた感情は変えられる、ということを作品の中で学んでいくのです。

2人の男女の恋慕やすれ違いを描いたように思われますが、原作愛読者は三谷の成長物語として、この物語を新たに再構成して記憶に残せるのではないかと思います。

過去は変えられる。それが救いにもなるし、悲劇にもなる。だからこそ、私たちは脆さを持った過去を引き連れて、未来への歩みをし続けていくのだ。
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