ひきこもりにゃんこ

岬の兄妹のひきこもりにゃんこのレビュー・感想・評価

岬の兄妹(2018年製作の映画)
4.1
これは久々にちゃんと感想を書かなきゃいけねぇな
アウトプットしなきゃ消化できねぇな
って映画だったのでここで書き出します
あらすじは既出なんで省きますがこういう映画が生理的に無理な人には拒絶反応が出ちゃうと思います
しかしちょっとちがうのはこの映画は常にどこか笑えちゃうんです
悲劇が喜劇になるようにあえてしているんだと思いました
そう
監督の力量が凄かったです
以下多少ネタバレあります

冒頭でこの映画のテーマがなにかドンと突きつけてきて素っ裸で女を走りまわせて観客に「これからやべーもん見せられるぞ」って言う覚悟を持たせる(私は持たせられました)
私もいくつか貧困とか障害者を扱った映画をみて(なんで福祉に頼らないんだろー)とこの映画を見た人が一様に思うであろうことを今まで思ってきましたがちょっと前に何となく分かったのは
この人達は深く考えると脳みそが疲れちゃうのと、お金に困りながらも自由に行きたいと思ってる。福祉の人達にあれこれ言われて私生活を根掘り葉掘り聞かれ、あちこち連れていかれたりするのが疲れちゃうんです。彼らにもプライドがあり、現状は生活に困っているのに想像できない整ったと言われる暮らしのために動き出すのも怖い。今のままがいい。ここから動きたくない。綺麗な環境とか3度の食事のために知らない人にアレコレ押し付けられたり振り回されたり動かなきゃ行けないのも疲れちゃうんだな。言うこと聞いたり役場に何度も行った方が後々暮らしが楽になるのに目先の楽な方を選んでめんどくさい事はやめる。未来への努力や想像力を働かせると言う土壌が出来ていないんです。もしこのような人達を現状打破してあげようとするなら救いの手を差し伸べる人があちこち代わりに役場に行き手続きしやってあげないとやれないんですよね。
で、まあそういう理解があってからこの2人を見始めました。
監督はその辺の説明はあえしなくていいだろうという判断だと思います
低予算であろう映画ですが監督の綿密な計算を随所に感じました
まずキャストとキャスト達の風貌。
脇役まで見た目がすごくピッタリでした。
そしてカメラの撮り方。
初手でボロ小屋にダンボールバリケードに縄とか写真で社会的に正しくないが悪人ではないと分からせる見せ方。そのダンボールをお金を稼いで物を食べたことで社会の光を家に差し込ませて社会の弱者ではないと勝利したようにマックを食べるシーン。売春シーンの入れ代わり立ち代わりのシーン。小人症のひととの人間らしい丁寧な性交の一時のシーン。海の中の撮影。水のないプールの対比。ドキュメンタリーを撮っているかのような逼迫したシーンでのあえてのブレブレのカメラワーク。2時間サスペンスの定番にある人殺しの犯人泣いて懺悔するような場所をあえて選んだラストシーン。そのための伏線のような中盤の生き生きと泳ぐ海のシーン。
いきなり爺さんのシーンであれ?別のエピソードになるの?とおもいや本筋にくるとか。
監督の培ってきた技量をみせつけるかのようにテクニック満載でこれはプロの仕事でした。
私は最後の電話は売春依頼のお客さんからの電話かなと思いました。そして妹は小人症の人からのおしごと依頼だといいな!って思っているようなちょっと目が輝き出していたように感じました。そこの解釈を受け手に任せる手法も流石でした。