晴れない空の降らない雨

炭坑の晴れない空の降らない雨のレビュー・感想・評価

炭坑(1931年製作の映画)
4.6
 『西部戦線一九一八年』の死闘〜病院ほど圧倒されるシーンはなかったものの、炭鉱という特殊な舞台と、火災や落盤、水没といった惨事が迫力たっぷりに映されていて今作もすばらしかった。前作同様けっこうな金がかかっていると思われ、パプストが当時一流の映画作家と見なされていたことが窺える。今日ではラングやムルナウと比べて格下扱いだが、どうなのだろう。背景には表現主義の過大評価があると思う。それとパプストの社会派的な側面が誇張されがちなせいではなかろうか。
 たしかにラスト1つ手前の演説はあまりにコテコテで思わず笑ってしまったが、ちゃんとラストで熱冷ましを入れてくる。希望は希望として語りつつ、苦い現実も現実としてありのまま捉えようとするスタンスは非常に好感がもてる。
 
 そんなことより、やはり映画としてちゃんと面白い。早くから映画を娯楽として洗練させていったアメリカの影響が本作からもしっかりと感じ取れるのだが、それと目の前の光景を淡々と捉えるリアリストの眼差しが両立しているのが、パプスト映画の特長といえるだろう。
 独仏国民がたがいに反目しあうなかで、生き埋め状態のフランスの坑夫たちをドイツ側から有志が助けに行く、というだけで素朴に胸熱ではなかろうか。そこに坑夫の恋人や、単身乗り込む祖父なども加えた群像劇。そのためにやや盛り上がりが拡散してしまった感はあるが、視点をスイッチングして緊張感を維持しつつジワジワと物語を進めていく。
 絵になる題材というか、映画にとって特権的なものを選んできている。そもそも炭坑という特異な場所を衆目にさらすことからして映画的なのである。監督はそうしたことを分かっているから、表現主義的な小細工を必要としないのだ。ただドリーを走らせればよい。サイレント期の傑作『喜びなき街』にみられた表現主義の影響は、トーキーになって消え失せている。あの異様で巨大なシャワー部屋。そこに蝟集して汚れを落とす全裸の男たち。高い天井につるされた彼らの作業着。こんな風になっていたのかと、それだけで面白い。しかも、ストーリー的にはさほど重要でもないのに、「群集」というこれまた映画的な対象に多くの時間を割いているのも流石というか。
 
 ちなみに、「思わず笑った」と書いたけど、ドイツ人坑夫が最後にぶっていた演説には興味深いところもあった。この演説は確かにマルクス主義的なものであるが、国際主義的なニュアンスのほうが強かったのだ。本作の一番の訴えは前作同様に、国民感情レベルでの独仏の和解という穏当な内容だった。この演説は、坑夫という身分による繋がりは国籍よりも重要だと主張する。この言葉はもちろん「万国のプロレタリアートよ、団結せよ」のパラフレーズなわけだが、経済的な平等主義だけでなく、国境を越えた友愛を訴えていた点が、当時インテリをマルクスに惹きつけていたのだな、と改めて思わされた。自分が一番好きな映画監督テオ・アンゲロプロスにとって「国境」は最大の関心事だったので、そんなことをつらつらと考えた次第である。