ヨーク

この世界の(さらにいくつもの)片隅にのヨークのレビュー・感想・評価

4.6
まずこうの史代先生(どうでもいいけど数ある漫画家の中でもこうの史代と諸星大二郎と岩明均は先生付けで呼びたくなる)の原作を読み、その数年後に『マイマイ新子と千年の魔法』で大好きだった片渕須直監督が映画化すると聞き小躍りして劇場へ観に行ったのがもう3年前とのことで光陰矢の如しを感じずにはいられない。とりあえず俺は原作を先に読んでるしオリジナル版もちゃんと観てるよアピールです。
さて、本作はその3年前の作品からさらに30分ほどのシーンを追加した長尺版なのだが、完全版と言うと前作が不完全のように思われるのが嫌なのだろうか別物として観てほしいというようなことを監督のTwitterはじめ広告などでもよく目にした。まぁ確かに完全新作とまでは言えなくても新たな追加シーンのおかげで前作とはかなり印象の変わったシーンはあるし、何より主人公であるすずさんに対する人物像の印象にも変化があったとは思う。
ただ個人的には完成度というか広く浸透する力を持った映画としてはオリジナル版の方が上かなとも思う。本作は主にすずさんの夫婦関係や女性としての面を取り上げる追加シーンが多かったのだが、そのことによってオリジナル版でまるで聖女のように祭り上げられたすずさんのイメージに少しの澱のようなものが混入されたのではないだろうか。もちろんそういう一人の女性としての生っぽい感情なんかはオリジナル版でもあったことはあったのだがその部分がより強調されたのは間違いないだろう。
嫌なら断りゃええ、とは言われたものの実際問題他に選べる選択肢もそんなになかったので嫁へ行ったすずさんは知らないうちに禿げてるほどのストレスを抱えながらもその現実を主体的に自分が選んだのだと言い聞かせるように生きていくのだが、何分戦時下ということもありすずさんは映像から読み取れる雰囲気以上に疲弊していっぱいいっぱいだったのであろう。だから中盤以降で空襲によって町が焼き払われてもそれがまるで、ある意味では自分を解放してくれることのように感じて、いがんどるという独白が吐き出されるのだ。そして自分でも意識しているのかどうか分からないくらいの深い部分で”戦争に参加”していたすずさんは玉音放送を聞いて怒りと悔しさで泣き叫ぶ、その境遇は今回追加された諸々の理由で遊女として生きるしか術がなかったリンさんのエピソードと対比されることによってより深く明示的に浮き上がってくる。うむ、やはりこうの先生は凄いです。
そしてそのことがどういうことなのかというとだ、基本的にこの物語は表面上はともかくその深部ではとても悲しくて切ない物語なのだ。オープニングからして悲しくてやりきれないと歌われるのだから間違いないだろう。だがその悲しさも切なさも戦争だから悲しいというわけではなく、根本的に人間が複雑な社会の中で生きていくのは悲しいことなのだということなのだと思う。非日常的な戦争が日々の生活を脅かすから悲しいのではないし、また戦争状態そのものが日常となってしまうことが悲しいわけでもない。もっと普遍的などうしようもないことに対する悲しさなのだ。おそらくだがリンさんが遊女になったのは単に貧しかったからであって戦争の有無は関係ないだろう。
つまり本作で追加されたリンさんのエピソードというのは身も蓋もないくらいにどうしようもないことはどうしようもないんだ、と冷たく突き放されるような感じを受ける。戦争が悪いということではなく貧乏で学もないから身体を鬻ぐだなんて、それこそこの世界の片隅にいくらでも転がっているようなエピソードだと言えるだろう。まるで高畑作品のような冷徹さだと思う。ただ、だからこそ真に迫るものもある。リンさんのどうしようもなさはすずさんの状況に輪をかけて酷いように思えるのだが、じゃあ彼女の人生はただ不幸なものだったのかというと俺はそうは思わないし、作品内でもそうは描かれていないと思う。彼女は彼女の人生の中でよく笑い決して折れることなくしなやかに柔らかに生きていたように見えた。俺がそう思いたいだけということはあるだろうし、またそういう風に見えるように描いているということもあるだろうが。
そこにすずさんを中心とした三角関係的な男女の機微が加わるのでより一層オリジナル版以上にすずさんが生々しい女であり、ストレートに言えばリンさんよりも運が良かっただけの存在であることが強調されるのだ。まるで聖女のようなみんなにとっての都合の良いすずさん像からはずいぶん離れてしまったように思える。だがその姿こそが水原の言う「お前は普通でおってくれ」という言葉が示す存在でもあると思うのだ。そりゃ旦那に自分以外の想い人がいたとか知ったら嫉妬もするし苛つきもするだろうよ。しかしその辺の性的な機微も含めたニュアンスが不要だと思う人もいるとは思うので、最初に書いたように広く浸透する力があるという意味ではオリジナル版の方が上だとは思う。あと単純に上映時間が短いのでテンポよく各エピソードが進むし。
ただ本作も素晴らしいので傑作であることには変わりないと思います。
まぁオリジナル版も星の数でスコアを付けろと言われたら4.6で同じだと思いますね。3年前に観たばかりでお熱だった頃なら4.8くらいにしたかもだけど。
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