keith中村

アナスタシア・イン・アメリカのkeith中村のレビュー・感想・評価

3.2
 お世辞にもいい作品とは呼べないけど、なんだか憎めない作品。
 アナスタシア生存説には、義経=ジンギスカン説と同じくロマンがありますね。
 んだけれど、何しろアナスタシアの場合は、アンナ・アンダーソンをモデルにした、「追想」という傑作があるので、この映画に勝ち目は全くない。
 
 セッティングは、ニコラス・メイヤーの傑作「タイム・アフター・タイム」とそっくり。
 ラスプーチンが実は善人だったというのが、ちょっと面白いところ。
 この作品の全然上手くないところは、せっかく現代アメリカにアナスタシアが来た設定なのに、カルチャー・ギャップ・コメディとしての笑いがほとんどないこと。あと、あってもダメダメ。
 スパゲティの手づかみ喰いってなんだよ。ロシアにそんな習慣ないでしょ。しかも、王族だよ。
 まあ、そのくだりが、エドワード8世のフィンガーボウルのエピソードみたいになったのはちょっと良かったけれど。
 
 最初に憎めないと書いたけど、なんか貶してばっかりなので、褒める。
 まあ、褒めるところは第三幕に集中してるんだけれど。
 
 まずは、「Leap Of Faith」ね。
 途中で「ダーティ・ダンシング」を観てるシーンや「E.T.」が出てきたので、「おっ、どっちのオマージュだ?!」とわくわくしてると、ブランコからひょいと。
 一瞬ズッコケそうになったけど、まあ、かわいらしいし、あれはあれで良しとしましょう。
 
 何よりもラストの「あれ」は私の大好物じゃないですか。
 何で1989年なんて中途半端な時代設定にしたのかと不思議だったけど、あれがしたかったのね。
 例の、「エンドゲーム」のキャップ的なあれね。
 これはずるい。これはやっぱ感動するわ。体が勝手に反応しちゃうわ。
 
 でもって、そこへ「タイム・アフター・タイム」流すんだもの。
 泣いちゃうわ。
 まあ、それは本作じゃなく、この曲の力に過ぎないんだけれど。
 そこは、素直にこの曲をチョイスしたことがこの映画の偉いところと思いましょう。
(垂れ流し状態とも言えるんだけれど…)
 
 ちなみに、この曲のタイトルの元になったのが、最初に書いた映画の「タイム・アフター・タイム」ね。
 まあ、本作を観るくらいなら、「タイム・アフター・タイム」観ろって話なんですが……。