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ナイチンゲールのRockoのレビュー・感想・評価

ナイチンゲール(2019年製作の映画)
4.6
この作品は歴史と人種差別をテーマにした女性の復讐劇「過激な内容とバイオレンス描写による慟哭のリベンジ・スリラー」という宣伝文句の単純な内容ではなく、自国の歴史に真摯に向き合い、わかりやすく暴力描写をストレートに描きながら被害者の複雑な感情を繊細に映し出し、未だ解決しない人種・女性差別や暴力など多くの社会問題を提起した作品です。過激ながらも美しい心と愛の感情物語とも感じられました。

オーストラリア滞在時に8ヶ月かけて全土を旅しながらもタスマニアだけを避けた自分にとっては歴史の部分はかなり重くのしかかります。
作品内でも歴史背景と人種と復讐の感情が複雑に絡み合うことにより難しい内容になっているため、評価が分かれる理由として復讐劇として物足りないとかバイオレンス描写に嫌悪感を覚えるだけではない気がします。
以下、多少ネタバレあるため鑑賞後向けのレビューになるかと思います。

まず、タイトルの『ナイチンゲール』は白衣の天使フローレンス・ナイチンゲールではなく、「サヨナキドリ」という野鳥の名前であり、昔の英語ではナイチンゲールは「声が綺麗な人」という意味でもあります。
シェイクスピアの『ロミオとジュリエット』の有名なセリフでもあります。
試練を乗り越えて二人が結ばれた日の翌朝の会話で男のロミオは衆目に姿をさらすことが自身の死につながるため、ふたたび闇の世界へと逃げ去らねばならないと怖がっているのに対し、女性のジュリエットは昨夜からの甘美な時間の余韻に浸って朝の到来を告げるひばりの声も夜鳴き鳥(ナイチンゲール)の声に聞こえてしまう。さらに「ナイチンゲール」は墓場鳥という別名もあり、死者を悼んで歌う鳥という意味もあるのです。タイトルだけでもこれだけ深い。
内容はもっともっと深いです。

1820年代にイギリス植民者がタスマニア島内のアボリジニーを一掃する計画を立て動物に見立てて、狩りを行った「ブラック・ウォー」の時代にアイルランド出身の囚人クレアは英国軍将校ホーキンスに囲われ、軍人の前で歌声を披露させられているところから始まります。ここに至るまでの背景は一切描かれていません。
当時、オーストラリアは流刑の地でしたが軽犯罪の貧困層がタスマニアへ送られていたとの説があるため、作中でクレアがされた仕打ちはとんでもない話です。
クレアの場合は窃盗で流刑とされていますが、法も整備されていなかった時代では犯罪自体もアイルランドは貧困層が多かったため、差別により仕立て上げられた可能性や島に女性が少なかったことにより送られた可能性すら感じてしまいました。

〇演技〇
主演の女性は圧巻の演技でしたが、『世界一キライなあなたに』のイケメン主人公サム・クラフリンも凄まじかった。
ホーキンスというキャラクターはイギリス将校の残忍な人物というだけではなく、戦争(オーストラリア軍を巻き込むことがなかったため、オーストラリア政府はブラックウォーを「戦争」とは認めていないが)下における男性の非情な性暴力、男性の支配欲さらにはイギリスの悪の部分を一手に引き受けながら権力には逆らえない弱さも見せるという複雑な役柄をよく演じきったと思います。

〇差別問題〇
人種差別問題については、主人公クレアが最初はアボリジニ(現在は差別用語とも言われていますが、あえてこの表現を用います)に銃を突き付けて見下していると捉えられる場面がありますが、差別よりも警戒心と自己防衛を強く感じました。
自分もオーストラリア滞在中に都市部で飲んだくれて公園などでカップルを襲い暴行を働くアボリジニに近寄ることはせず、長距離バスに乗れば強烈な体臭を放つ彼らには話しかけることすらできませんでした。
男女比が8:2の無法者だらけのタスマニアで一緒にいることで自分には不利になるアボリジニに仲良く近寄る訳がないです。この作品は何もかも「支配」と「差別」が悪とだけでは終わらせていない。
アボリジニのビリーが「いい奴も悪い奴もいる」と言うセリフがあり、これが全てを物語っているような気がしました。
オーストラリア政府がアボリジニに正式に謝罪したのは2008年ラッド首相が初めてです。白豪主義で知られるオーストラリアですが、未だアボリジニは政府から助成金をもらい生活ができているに過ぎず、住む場所や雇用も非常に限られているために助成金で酒を買いダラダラと日々過ごす素行の悪い人達が多数存在します。
アボリジニが白人社会に同化し、アイデンティティを失うことは、アルコール中毒の問題や伝統文化の消失といった問題を引き起こすことにも繋がります。このような悪循環を解消し、アボリジニの人々を真に理解するには200 年以上も前に起きた迫害などの歴史をこの映画のように正しく知らしめ、先住民を尊重していくことが必要です。
アボリジニにも白人にもあらゆる人種に「いい奴」も「悪い奴」もいるでしょう。それを引き起こした要因を深く考え、改善策を導き出すことがいかに重要かと思い知らされたシーンでした。

〇復讐劇〇
復讐に燃えたクレアが失速する描写について、私はここから凄く引き込まれました。元々自分が「リベンジスリラー」に期待していなかったのか、ヒューマンドラマに変わって行った部分が大きいです。夫と子供を殺された人間誰しもが復讐に燃えて全てをやり遂げられる訳がない現実と銃を上手く扱えなかった者たちの善良さが悪と対照的で、エンタメとして爽快な復讐劇に仕立て上げるより現実社会に近い形で被害者の感情を描いたことに共感しました。
ビリーの復讐劇については戦闘的な男の部分を描いたのか、アボリジニを代表した白人への復讐だったのか銃に対する抵抗として描かれたのか咀嚼しきれない感情のままです。

〇文化と風習〇
危険で過酷な森の旅を続けるうちに、クレアのビリーに対する見方は変化し、信頼感と友情のようなものが芽生えます。美しい都合のよい友情物語とは全然違います。
自分の経験に近いものがあります。反日だろうと思い込んでいた韓国人と仲良くなって毎日遊んだり、プライドが高くて相手にされないだろうと思っていたフランス人が物凄くフレンドリーで仲間に入れてくれたり・・・何か国もの人たちと楽しく交流しました。
クレアの持っていたアボリジニに対する先入観と警戒心は時間をかけてお互いの人間性を理解し、文化と風習を受け入れて行けば友情に発展するという異文化交流に繋がります。
これがイギリス人が土足で入植し、先住民の文化を奪い取った歴史と正反対で、森の中での2人の友情が神秘的に見えるとても良い場面でした。

長々と書きましたが、覚悟と知識と想像力を持って観ないと難し過ぎる作品だという気はします。観る人を選ぶ作品かもしれませんが、私にとっては恐怖と絶望の中で戦う女性の感情を見事に描いた力強く美しい物語でした。

●2020年155作目●
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