あんじょーら

7月22日のあんじょーらのレビュー・感想・評価

7月22日(2018年製作の映画)
3.5
ラジオの映画紹介で町山さんが強めにオススメしていたので視聴しました。



大変ヘヴィーな映画でした、私は全然知らなかった2011年の7月22日ノルウェーでのテロ事件を扱った作品です・・・



ノルウェーのウトヤ島と首都オスロで起こった連続テロ事件の顛末を扱った映画です。単独犯である当時32歳のアンネシュ・ベーリング・ブレイビクは首都オスロの政府庁舎に大量の爆弾を車に積み込んで爆破し、その足でそのままウトヤ島に単独で警官と偽って潜入し、そのまま銃を乱射、当時ウトヤ島には移民政策に積極的なノルウェー労働党青年部の集会が行われており、オルロでの爆発で8名、ウトヤ島での乱射事件では69名の死亡者が出るテロ事件の発生とその裁判を映画化したものです。



単独犯がテロの準備を進める非常に重い映像と、ウトヤ島での生徒たちののどかで爽やかなキャンプ風景が交互に描かれる事で、観客である受け手はこの先に起きる事を実は早く見たいと思わせ、加害者ではないものの、その行為に加担しかねない心理状態に置かれている事はとても上手い編集だと思います。映画化、ですしドキュメンタリーではないので実際の映像では無いんですけれど、早く続きが見たい、どうなるのか知りたい、という欲求の後ろ暗さを実感してしまいました。



主な登場人物は、単独犯ブレイビク、被害者ビリヤル、弁護士リッペスタッド、なんですけれど、とても上手い群像劇でドキュメンタリチックな映画化だと思います。



実際に起こった事件ではありますが、本当のところ、どうだったのか?は私は知りません。しかし映画に近い事実があったのだと思います。非常に重く厳しい現実があります・・・簡単に言葉に出来ませんでした。しかし、それでもなお、考える事を止めるのだけはしたくありません。



ノルウェーで起きたテロ事件について知りたい人、考えてみたい人にオススメ致します。とてもヘヴィーな事件で、現実です。





アテンション・プリーズ!
ココからネタバレありの感想になります。とはいえ現実の事件を映画にしているので、Wikipedia等ネットで調べればすぐに事件の概要は知れます。心地の良い事件じゃありませんからわざわざ知りたくないと感じる人もいらっしゃると思います。けれど、それも個人的には良くない、耳を閉ざす行為だと思っているので、結局いろいろ知れば調べてしまいます。結果的に耳を閉ざし、残虐な事件を遠ざけているつもりで、実は犯人の思いに沿っているように感じるからです。


あくまで個人的な感想です。





















犯人の、独善的で劣等感を暴力でしか解決出来ない上に論理的にも破たんし、もはや精神異常者にしか見えない点は、救いがないです。単純な極右的思想でしか己の貯め込んだ怨念を払拭出来なかったその点に、大変な恐ろしさがあります。自らを怪物として周囲から崇め奉られないと弱い自我が崩壊してしまうほどの脆弱性、排斥主義的な大変簡単なロジックにいつまでも拘泥して、それが醜悪である事を理解していたからこそ、周囲には無害な人間に見えるように行動していた点も、愚かで救いがない事にしか見えないです。他者を見下す事でしか満足が得られない大変小さな男ですが、それがこれだけの事件を起こせた事、その点が非常に気になりました。



政府の、安全保障というテロ対策の粗を指し示すのは簡単でしょうけれど、それだけではない怖さがあって、それはこの犯人が憎んでいる『多様性』の中にこの犯人も含まれる事です。多様性を認めるのであれば事を起こせないようにしながらも、この社会の中でこのような思想というよりもサイコパスな思考の持ち主を許容出来るようにしなければなりません。もちろんテロ行為は大変許しがたい事ですけれど、しかしテロ行為しか表現の手段がない(本当はそうではないんですけれど、まっとうな手段を、思いつく事の出来ない、その道を辿れない早急で粗野な連中)も共生できる社会が多様性のある社会なのであって、矛盾を孕んでいますけれど目指すべき社会だと思います。




誰の言葉かは忘れてしまいましたけれど『貴方の主張には全く同意する事が出来ない。が、貴方が主張する権利は死んでも守る』という事に尽きると思います。



だからこそ、法的に弁護人にはこの愚かな犯人を、法で裁くために、弁護をしなければなりません。この弁護人の役の方は大変味わいのある演技をされていて素晴らしかったですし、脚本演出ともに、言葉で説明しない部分を演技で説明してくれてて素晴らしかったです。被害者から見れば許しがたい犯人であったとしても、報復行動、リンチを認めずに、法の裁きを受けさせるのはとても重要だと思います。しかし、その行為に、犯人を庇うのか?と口汚く罵る輩を出し、子どもの保育園を変えざる得ない状況に追い込まれながらも、淡々と職務をこなし、決して折れない行動は賞賛に値すると思います。




テロでしか自らの尊厳を維持できない人との共生をどのように行うのか?というのは大変困難な命題だと思います。法的に認めなくとも、法外に出てしまう人はいますし、それこそこの映画のテロではなく、現代の日本でも、ヘイトスピーチや排斥主義的な短絡思考を悪びれもせずにデモ行進するような人がいるわけで、この方たちも同じ日本人でこの国で共生していく困難を考えるのと同義だと思います。




また、被害者の中でも特に後遺症と戦うビリヤルのやりきれなさ、無念さ、そしてそこから立ち上がっていく様は大変美しいものがあり、まだ青年のうちに与えられる後遺症としても大変辛いのに、さらに裁判で証言するまでに、戦っていく姿勢が本当にリアルに描かれています。ビリヤルの両親にもそして助かった弟のトリエの存在とその苦悩もリアルに描かれていて良かったです。実のところ本当の意味では変わってあげる事も出来ず、苦しむ両親は、その間にさえ亀裂が入りかかるのも、本当に怖いくらいにリアルでした。何かを克服するのって本当に難しいし、尊い。




弁護士以外にも気になる人物がいて、それが犯人の母親です。この犯人の生育環境は恵まれたものではなかったと思います。しかし生れ落ちる環境や両親を選べた人間はいません。ある種の不平等で理不尽さを含んでいますし、当然でもあります。しかし、不遇な環境が原因ではない事は、その他の恵まれない環境に育った人が何人もいる事で証明できると思います。何故このような人物が出来上がってしまったのか?が気になるわけです。そして私には、この母親の存在が大変重要だと思います。




親になるという事はどういう事なのか?その想像もなく親になっている人が恐ろしいです。果たさねばならない責務のラインというものがあると思います。そのラインを全く気にせずに『親』をやっている人に私は恐怖を覚えます。この犯人の母親もそんな風に見える人物です。なんでも言いくるめられてしまい、放任で甘く、しかし責任を担おうともしません。視野狭窄な考え方をし、単純にそれを信じ込み、その影響が犯人の中にあるように感じました。全く視野狭窄である事に疑問が無いのが恐ろしいです、客観性の無い人の恐ろしさを覚えますし、私の考えも、また別な角度から見れば視野狭窄で浅薄な考えである事もあるのだと思うと、本当に恐ろしくなります。




それでも、この犯人のような人をゼロにするのは大変難しい事だと思います。弁護士が最後の面会で話す言葉の重みを噛みしめています。