海

ROMA/ローマの海のレビュー・感想・評価

ROMA/ローマ(2018年製作の映画)
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このひとたちは、まるでもうこの世に居ないひとたちみたいだった。ただこの場所に残り続けるいとしい記憶の亡霊みたいだった。涙のこぼれるまぶたを強くおさえて震えている手のひら、最後まで味のしなかったアイスクリーム、子守唄みたいなおはようの声、ガレージを吹き抜けていった夜の風、波の音、潮の匂い、裸足に感じる乾いた砂と水の呼吸。わたしたちは何かを失いながら生きていく。たった一つを手に入れるために、たった一つを守り抜くために、数えきれないほど多くのものを手放して、取り替えて、壊して、生きていく。車の傷に思い出があるのも、去っていく後ろ姿を黙って見守るのも、亡くした命のために涙するのも、ぜんぶぜんぶ、わたしたちの役目なんだって、それは違う間違ってるってどんなに大きな声で何度言われたって、だって、そうするしかないんだ。自分で覚えていなきゃ、見つめていなきゃ、涙しなきゃ、何もかもなかったことみたいに、つらいことと一緒に抱きしめていたいものさえいつか時代の中に消えていってしまう。時は流れる、牙を剥き、爪を立て、過去から今へとわたしたちを追いたてる。時はまるで海の波のように、その呼吸のように、同じ方向に流れ続ける。それなのに、沖へと流されて沈んでいくはずだった彼女たちのことを、なぜ海は助けたのだろう。もうこれ以上、どんなに生き続けても、上手く生きられるようになんてなれないのに、映画の始まりと終わりを比べたって失われたものと取り替えたものしかここには無いのに、あのとき海は呼吸を変え、時間は針路を変えて、わたしたちを光の方に押して帰してくれたのだった。初めて観たときは一度も泣かなかったのに、昨夜劇場で観て、ほとんどずっと涙をこらえるか、涙が止まらなくてこぼれるかの、どちらかだった。映画を観てあんなに泣いたのははじめてだった。母と観たくて、劇場へ行って、土曜の夜だというのに全然人が入らなくて、結局わたしと母と妹と、女三人の貸切映画館で『ROMA』を観た。こんな映画を、愛と女と人生の映画を、こんなふうに観ることなんて、この先ないかもしれないなあ、世界中どこをさがしてもこんなことないかもしれないなあってぼんやり思いながら、観た。帰りの車の中で、母はわたしを授かるまでに何回も流産したという話をしてくれた。そんなとき、近所の人や、親戚の人に、「名前に流れる水を入れようとするから流れるんじゃないか」って、言われたそうだ。わたしが、「この映画のキービジュアルにもなってる海辺で抱き合う家族のシーン、もしもあそこに父親が、大人の男の人が居たなら、あんなふうに光が漏れることはなかったし、あの美しさがわたしたちの目から心に届くことも、永遠になかったんだ」と言ったら、「海の漢字とか、流れる水とか、そんなの関係ないんだよね。ずっと関係ない。今ここにあるものは、私にしかないものだから、それが誰にも分かってもらえないものでも、世界で一番幸せだと思う。失ったもののほうが多くても。本当に、本当にそう思うよ」って言ってた。うん、そうだね。海が彼女たちを死から生へ、喪失から愛へと導いたように、わたしたちはそうやって、生きてきたんだ。失って空いたその場所から光が漏れてあふれるような抱擁を重ねて、わたしは生きていきたい。あなたを抱きしめるこの腕でわたしは、わたしのことも一緒に抱きしめているから。はっきりと目に映ったあの光は、抱きしめても伝えきれなかった愛と祈り。

2018/1/14
2019/4/6
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