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ROMA/ローマのKuutaのレビュー・感想・評価

ROMA/ローマ(2018年製作の映画)
4.2
やっぱり今年のオスカー作品の中では頭一つ抜けてる気がするなぁ。イオンシネマで見直してきたので若干加筆。

静かな横のパンと水平のドリーで大半が構成されている。序盤に出てくる、テレビを見ている家族団欒のシーン(今作で唯一家族が揃う)、みんなが目線をカメラ(テレビが置かれた場所)に向けている。家族を観察できる位置から、第三者的に生活を眺めている感じ。

静止画のような構図と照明がワンカット毎に決まっている。終盤のホテルの庭での、クレオ(ヤリッツァ・アパリシオ)の立ち姿と謎の蟹オブジェを枠にして、隣の結婚式の盛り上がりとの断絶を示す所、なんかかわいくて好き。

ポスターイメージにもなっているビーチの場面。冒頭から守ってきた法則を無視してカメラは左→右(下手から上手=過去から未来)へ水平移動を始め、クレオも走り出す。バカンスだから家政婦の仕事はしなくていいと言われていたのが、「家族として行動する」という意味に変化してここで生きてくる(初日に「泳げないから」と波に近づかなかった事も伏線になっている)。

「遂に潮目が変わった!」と観てるこっちも気持ちが昂り、浜辺を離れるカメラに鳥肌立ちっぱなしだった。

続いて何度も繰り返された右→左の水平移動が入り、最後にフレーム外から残りの家族が駆け寄ってきて一つに統合される。見事に計算されている。この場面、激動の時代の波の中を泳いでいくってことでもあり、移民を家族に取り込むって意味も重なっている。

(左→右のドリーショットは、火事の翌日にみんなで散歩する場面でも出てくる。クレオは「村の匂いがする」と楽しげだが、彼女は自ら子供達の列から離れてしまう。海岸のシーンとの対比になっている)

死と再生。犬のフンだらけの汚い現世。寄せては返す波のように、水で洗い流す度にリセットされ、また汚れるを繰り返す。剥製にされ交代が繰り返されてきた事も知らずに、犬は至る所で吠えながら生きている(=人間も同じ)。

クレオは籠の鳥のように押し込められ、狭い空を見上げるしかない。希望のように見える飛行機もまた、定時で離着陸を繰り返すに存在に過ぎず、良くも悪くも生と死の輪廻から逃れられない、生き物そのものだ。

フェルミンがいる土地は政治家の演説が大音量で響くが、水(命の象徴)不足に悩み、泥と土にまみれたぐっちゃぐちゃの場所。電柱は墓場のような十字架の形をしている。人の飲みかけのコーラにこっそり手を出し、フルチンで棒を振り回す情けない男性優位主義(ベッドの上に掛かった「海」の絵が傾いている時点で将来ロクなことにならないと示している)。

車の見せ方だけでも面白い。一見優雅な父アントニオの駐車だが、クラシックは無駄に大音量だしタバコは灰皿に溜まりまくり。内に秘めたイライラを示唆するかのように、かなり細かくカットを割っているそもそもあのアンバランスな車のチョイス自体に暴力性を感じる。

対照的にソフィア(マリナ・デ・タヴィラ)の駐車はカットを割らないので一見豪快に入ってくる。だが実際は不安を隠しながら運転しており、信号待ちの車の間に突っ込み、スタックしてしまう。夫を失った彼女の社会の中での宙ぶらりん感とも繋がっている。

クレオの不吉な行く末を暗示する演出が連発される。映画内で飛行機が墜落。映画館の外でも縁起の悪いおもちゃが売られている。病院の新生児の部屋は窓の格子によって十字に区切られ、地震を挟んで墓場へ。お正月の幸せな乾杯に失敗する(割れた盃は子宮だろうか)。

関係を持った日のしとしと雨は、悲しい妊娠告白の日にはあられに変化している。この場面はソフィアが夫の浮気を確信し、子供に手紙を書かせるキツイシーンでもある。ソフィアは子供達を繋ぎとめようとするが、部屋に向かってバラバラになってしまう。「絵に描いた飛行機」を見せられる2人。不安の中、娘を抱きしめるしかないクレオ。

クレオと赤ん坊が前後のベッドに並ぶ場面、ピントのずれと共に、じわじわと悲しみが積み重なっていく見事な長回しだった。このシーンに対比されるのが、ビーチでのあの太陽の輝きなんだろう。

年越しの場面、辛さが増すその後の展開を示すかのごとく、水とは対極の炎が上がる。じーっと森を眺めていると、あの明かりはお祝いの花火なのか?と思わせて火事という展開。この直前、ソフィアも同じ方向を見ている。初めてソフィアとクレオの立場が横並びになる瞬間。廊下には、2人を象徴するように2匹の犬が並んでいる。

謎の服装シリーズ。コーパスクリスティの虐殺の際の、フェルミンのTシャツのチョイス(この場面、テレサがクレオのお腹を庇っているのが良い!)。山火事の時にめっちゃ燃えそうな奴が出てくるのも笑った。どんどん近付いてきたし。

インチキ臭いソベック先生(序盤のテレビ番組で車を引っ張っている)の場面で無駄にカッコいい光のショットがあって、笑っていいのか、なんだかよく分からない気持ちになった。クレオだけは心が落ち着いて乱れないキャラだから、あのポーズが出来たんだと思う。そんな彼女が思わず辛い本音を打ち明けたんだと考えると、あのクライマックスがなおの事切ない。

不釣り合いな大きな車は売り払われ、冒頭で見せた部屋割りはリセットされる。ソフィアはようやく同じ階で電話を取る。オープニングショットと同じ、ティルトアップで映画は終わる。床に反射した飛行機をぼんやり見ていたのが、はっきりと実際の空を見つめる形に変化して。

なお、ティルトアップは屋上の洗濯シーンでもう一回だけ出てくる。「死ぬ運命」に逆らった事を兄に咎められたパコは十字の入った台座で死んだふりをする。それに習って寝そべるクレオには空が見えているはずだが、ティルトアップするカメラの視点は空に向く手前、洗濯物に遮られて止まる。行き場を無くしたカメラは否応無く見慣れた右へのパンを始め、他の家の洗濯風景を捉えていく。この場面でカメラはクレオの日常から抜け出すことが出来ない。海からの帰り道の車窓には空が写り込んでおり、ここでようやく彼女の目線が空と重なる。

白人の雇用者とメキシコ人の被雇用者が本当の意味で家族になる話でもあり、当時の男尊女卑社会の描写も含め、そこに現代的な政治性を見出すことも出来るが、どっちかと言うとキュアロンの自伝性の方が強いのだろう。84点。
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