picaru

ROMA/ローマのpicaruのレビュー・感想・評価

ROMA/ローマ(2018年製作の映画)
5.0
【生きていく話】

『ROMA』観ました。

観た理由はただひとつ。

惹かれたから。

Netflix配給作品なので公式サイトや紹介ページがなく、メインビジュアルの印象と自分の感覚を頼るほかなかった。

「これは自分にとって特別な作品になる」

謎の確信があった。だから、わざわざ音響にこだわる遠くの映画館へ足を運び、最前列センターで観た。誰にも邪魔されたくなかった、というよりは、誰よりも映画に近付きたかった。物理的にも心情的にも。

映画のはじまりは、水を撒いた床が映し出される。
その水は、日々の生活で触れている水とは違った。

透明じゃなかった。
いや、透明なのだけれど、それは、油絵のようにいくつもの色が塗り重ねられた透明だった。

このモノクロ映画は私に色を教えようとしている。
すでに私の中にある色の概念を水で洗い流すことによって。

本編開始後、タイトルが出るまでのたった数分間で、私は映画の虜になってしまった。

舞台は社会的混乱の中にある1970年代のメキシコ。
中流家庭の一家に雇われるひとりの家政婦・クレオを中心に展開される。

展開される、といっても、遥か遠くへ進むわけでも過去を遡るわけでもなく、ただ、そこに、家政婦と雇い主一家の日常があるだけだ。

映画を彩る音楽を使用せず、そこで鳴っている自然の音(環境音)だけで本編が構成されたことにより、その日常はぐっと私の元へ引き出される。それはもう、触れていると言っていいくらいに。

映画を浴びながら、自分の中で映画が湧き上がってくるのを感じた。ひとつの家族の一瞬を観ながら、自分の中で映画が育まれるのを感じた。

モノクロの世界は、普段目にしているカラフルな世界よりも、逞しい日常を描き出していた。

黒の明るさと白の暗さ。
黒の艶と白のくすみ。
黒の硬さと白の柔らかさ。
黒の芳香と白の生臭さ。
黒の静寂と白の喧騒。
黒の鋭利と白の鈍感。
黒の冷淡と白の温和。
黒の虚勢と白の孤独。
黒の凛々しさと白の無邪気。
黒の生と白の死。
黒の死と白の生。

すべてを五感で感じ、目の前に漂う日常を生きることで、映画が第六感として生まれ変わる様を、静かに受け入れていた。
映画に埋もれてしまいそうだった。
映画に溺れてしまいそうだった。

ラストに訪れた海のシーン。
映し出された海は、世界中の輝きを盗んでしまったような余裕がある。子どもたちは光の波の反射で目を輝かせる。ひとたびその海が目の色を変えれば、脅威となり、子どもたちは再び自分のもとへ輝きを取り戻すことができるだろう。だけど、同時に目の奥には闇を背負ってしまうのだ。

それが、生きていくことだから。
それが、生と死の繰り返しの中の、たった一瞬に存在するということだから。

眩しすぎた白の世界はあまりに痛々しく、憧れた黒の世界はどこまでも頼りなかった。

そんな世界に体温を溶かしてみたら、かけがえのない安堵が体中に染み渡るのだろう。

映画は最後の最後に、自分もクレオや家族と同じ人間であることを証明してくれた。

エンドロールが終わり、映画館を出る。
世界は相変わらず虚しいくらいに鮮やかで、あの白黒の日常はやってこない。
それでも、新しい色を飲み込んだ体で生きていくんだ。
映画といっしょに、生きていくんだ。
picaru

picaru