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平成仮面ライダー20作記念 仮面ライダー平成ジェネレーションズFOREVERのsanbonのレビュー・感想・評価

3.1
仮面ライダーの劇場版からは久しく遠ざかっていたが、なにかと元号と結び付けられる仮面ライダーシリーズにして、平成最後の記念作品という事で鑑賞。

結論としては、大人と子供どちらにも取り入ろうとして、どちらも中途半端になってしまった印象だった。

今作は、平成ライダー20作目も記念した作品という事で、クウガから始まった全平成ライダーが総出演を果たす、言わばジャパニーズアベンジャーズといった趣きを持ってはいるが、ディケイド以降仮面ライダーは脈絡のないクロスオーバーを幾度となく繰り返している為、一つの画面に仮面ライダーがいっぱい!の構図は既に飽食状態。

こういう手法は本来、例えるなら麻薬の様なものであり、摂取(起用)さえすればガンギマリ(大ヒット)間違いなしの禁じ手と言っても過言ではないものなのだが、東映はこの脱法レベルの劇薬をディケイドから数えなんと10年にも渡り常用を繰り返してしまっていた。

結果、感動と興奮を一番に発揮してほしいここぞという場面には、もう効き目があまり感じられなくなってしまい、尚且つ今作の大集合は物語も後半の後半に、脈絡もなく寄せ集められるが如く起きてしまうものだから湧き上がる感情は無いに等しい状態であった。

あのアベンジャーズですら、11年22作品の間に5本しか作らなかったお祭り作品を、東映は2008年以降毎年のように恒例行事として制作し続けてしまったのが痛すぎる。

そういった意味では、今作のような記念作品となるタイミングで満を持して活用しないと、感動や有り難みはどう転んでも薄らいでしまうという事を学んだ10年でもあったと言える。

是非とも次の令和ライダーには、10周年まで存分に出し惜しみをしてもらい、カタルシスを最大限に爆発させるような作品を期待したい。

という事で、今回も一堂に会した仮面ライダーの勇姿はもはや当たり前となってしまっていたため、それ以外のどこにモチベーションを求めるかと言えば、やはり一つはストーリーと、あと一つはキャストにあるだろう。

まずキャストに関してだが、今作の株を一気に引き上げた立役者である佐藤健の存在は非常に大きい。

東映側も公開までその一切を厳重に規制し、情報をひた隠しにしていた事から、佐藤健の出演は今作におけるトップシークレットであった事が窺い知れるし、思惑通りの反応と評価を得られたのだから完全なる製作者側の作戦勝ちである。

が、今作でフィーチャーされたライダーは平成ライダー始まりのクウガ、平成二期始まりのW、仮面ライダー史上最大のヒット作となった電王の3人であったが、中の人に関しては佐藤健のみ出演という事は同時に、最も熱望されたであろうオダギリジョーや菅田将暉、桐山漣の出演の可能性が一縷の望みすら立ち消えてしまった瞬間でもあったという事で、嬉しい反面悲しくもあったのは否めない。

あのアベンジャーズですら、ハリウッドで主役を張るトップスターばかりを脇役の如く大集結させ、ちょっとあり得ないレベルの豪華キャスティングを現実のものに出来たのだから、予算の関係なのか時間の関係なのか権利の関係なのか分からないが日本の若手俳優くらいどかーんと起用させられる器量はあってほしかった。

最後に、ストーリーに関してはあまり優れていたとは言いにくい。

今作はざっくり分けると2つの要素で構成されており、一つはタイムトラベルともう一つはパラレルワールドであり、正直この縦軸と横軸を同時に2つ掛け合わせて脚本を書くなど愚の骨頂としか思えない程、高度なストーリーを描こうとしてしまっている。

あのアベンジャーズですら、世界レベルの脚本力を持っているにも関わらず、タイムトラベルと並行世界を同時に併用しようとは決してしなかったというのに、あくまで低年齢向けのヒーロー映画に対してそれをしてしまったのはあまりに無謀である。

大人が見ても大枠をなんとなーく理解できるレベルの難解さだったのだが、それは内容が複雑だからという意味では無く、複雑な設定を活かせていない不明点の多い脚本のせいであり、完全に脚本家が今回の要素を持て余していた結果に過ぎない。

また、今回の敵であるタイムジャッカーのティードも、大東駿介の演技は最高に光っていたが、行動原理はよく分からなかった。

そもそもタイムジャッカーの存在意義自体よく分かっていないのだが、TV版だとジオウが君臨する未来を変える為、成り代る王を擁立する目的でアナザーライダーを生み出し暗躍している存在だと解釈している。

ところが、今回のティードに関しては仮面ライダーという存在自体をなきものにする為全ての始まりであるクウガの力を奪ったらしいのだが、アナザークウガを生み出すと仮面ライダーが誕生しなくなる原理が分からないし?実存は消滅しても概念はフィクションとして残っているし?イマジンの登場で本当は存在しない筈のライダーが現れだすし?そもそもイマジンはライダーがフィクションの世界でも存在してるし?ん、んー??

…もはや時系列も世界観もルールもごちゃごちゃしすぎていて、なんとか無理矢理一本の作品にしたような出来栄えである。

愛があるからこそ、逆立ちしても勝ち目の無いMCUを引き合いに出してまで酷評してしまったが、子供では到底買い揃える事など出来ない数のアイテムが作品を重ねる毎に年々増え続けている事からも、仮面ライダー市場は子供をターゲット層にしつつも大人を取り込んでこそ成長を遂げているコンテンツであるのだから「子供向けの作品なんだからそこはご愛嬌」ではなく、脚本にはより一層のクオリティとコストを割く意義も意味も十分にあると思う。

今年の9月以降の令和ライダー1号にはそんなところも期待したいところだ。
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