スーダラ

ラストレターのスーダラのレビュー・感想・評価

ラストレター(2020年製作の映画)
4.4
https://cinemanokodoku.com/2020/02/13/lastletter-2/

「ラストレター」を再見した。
1回目と違う新たな発見が幾つかあった。
映画の前半は裕里の視点を中心に話が進む。姉、未咲の死を感じさせないほど軽妙で飄々とした彼女の様子を初回に見たときは、それを「ドラマの前の序章」のように思っていたのだが、改めて見てみると、その豊かさ(少し大げさに言うと尊さ)をひしひしと感じられた。(それがしっかりと娘の颯香に受け継がれていて、それもまた愛しい)
引っ込み思案で、いつも優等生の姉に対してコンプレックスを感じていて、図書館で働きながら家事と子育ての毎日。初恋の男性と文通をしたり、姑の恋の行方を見守ったり。そんな一人の女性の人生、日常。
人間としての尊厳を踏みにじられ、心と体に深い傷を負い、自ら命を絶つしかなかった姉の人生と相まって、彼女の日々が輝いて見えた、愛しく見えた。
裕里が初恋の人、乙坂に姉のことを打ち明ける。そのとき彼女はこんなことを言う。
「あなたと文通をしていると、まるで姉の人生がまだ続いているような気持になりました。」
遺された者たちが未咲の遺志を継ぐのだとすれば、彼女たちの果たすべき役割は「何者かになること、何かを成し遂げること」などでは決して無く、ありふれた日常を積み重ねていくことであり、それこそが彼女の望んだことだったはずだ。
彼女が娘に遺した最後の手紙
「皆に等しく同じ価値があり、無限の可能性があると信じられる瞬間」
とは、人生のある一時期だけに当てはまるのではなく、常に思い起こして帰ってくるべきもの(故郷や母校や実家のような)なのだ。

これも初回ではあまり感じられなかったのだが、この作品が「皆に等しく同じ価値がある世界」を体現した、とても誠実な群像劇なのだということにも気がついた。
裕里も未咲も乙坂も、鮎美も颯香も、庵野秀明演じる裕里の夫、颯香の父親も、それから阿藤ですらも。皆の人生には等しく同じ価値があり、光と闇があり、秘密と夢があると思えた。
エドワード・ヤンと村上春樹と岩井俊二と。
とても良い映画だった。


https://cinemanokodoku.com/2020/02/10/lastletter/

何者にもなれなかった全ての人への賛歌。
届くはずのない手紙と、時間と、届かないはずの思いが起こす奇跡。
映画という名前の優しい嘘。
夏休みが終わって、娘が帰ってきて、書斎の扉を開けて「ただいま」と言ってくれる。父は一人で「おかえり」と言う。そして言葉にならない気持ちを噛みしめる。
漫画家の父親のささやかな日常に、ささやかな思いに、光があたるあのシーンが僕は大好きだ。
何者にもなれなかった僕がきっと誰かを支えている。そう思える。僕はきっと君たちを支えている。もちろん君たちに支えられている。
スーダラ

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