KnightsofOdessa

永遠の門 ゴッホの見た未来のKnightsofOdessaのレビュー・感想・評価

3.0
[映像全フリ中身スッカスカ事案] 60点 

先日、恵比寿くんだりで観た『アマンダと僕』で一番覚えているのが予告編に出てきたマリガンとデフォーだったので、上半期新作ベストの追い込みも兼ねて覗いてみることにした。最早このために生まれたかのような錯覚に陥るデフォーはやっぱり凄くて、『幸福なラザロ』のタルディオーロ青年のような"はまり役"になっていたことは確かだし、他のミケルセンやらアイザックやらアマルリックやら顔面戦闘力高めな配役をしていて、そんな俳優好きとしては喜ばしい限りである。ミケルセンとアマルリックは5秒くらいしか出てこないけど。

ゴッホといえば"頭おかしい画家が世間に認められないまま死んだ"という解釈が普通だ。それが伝説化してしまった現代において、それを解体して現代的な観点から考え直したら、発狂したおっさんでも暴れん坊異端児でもなく、ただただ絵が描きたかったペイントアディクトのおじさんなんだよね、という肖像を再構築するのは上手くいっていたように思える。耳切り事件もイカれた結果ではなく、漸く得た友ゴーギャンとの別れの悲しみや寂しさが結実したものとしていて、まぁ確かにそういう解釈もあるよねと。ただ、ゴッホに"まだ生まれぬ人々のために画家になったのかもしれない"と言わせるのは、シュナーベルが勝手に神格化したゴッホ像の押し付けなんじゃないか。やり過ぎは禁物。ラストの他殺説は興味深かった。

映像としても元画家のシュナーベル渾身の一作という感じは伝わってくるが、明らかにやる気が空回りしている。ゴッホが題材を探して野山を歩き回り、自然の映像をゴッホの目を通して描いているので、『あさきゆめみし』みたいに画面が半分歪んでいたり、視界を真黄色にしてみたり、やたらハンディカムを揺らしてみたりと過激で実験的な演出が続く。しかし、ワンシーンにそんだけ拘っている割にゴッホの人生はダイジェスト的に流れ、事件と絵画の再現だけを拾っているので、中身がスッカスカという印象しか受けない。あと、画家って風とかの"音"みたいなのは全く気にしないのだろうか、それがシュナーベルの流儀なのかもしれんが、自然の中にいるのに自然の音をかき消すように感傷的な音楽をベタ塗りするのは自己陶酔がひどいというか嘘くさいというかなんというか。

全体的に悪くはないんだが、ゴッホのそっくりさんの後ろにシュナーベルが終始見え隠れする映画だった。新説を唱えて伝説を解体したいのか、ただゴッホになりきって寄り添いたいのか、映像に全フリしてるくせに新説は語りたいというアンビバレントな感情が透けて見えるせいで、正直言いたいのかはよく分からん。まぁニヤケ顔のアマルリックが観られただけで収穫なんすかね。