ナガエ

永遠の門 ゴッホの見た未来のナガエのレビュー・感想・評価

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全体的に、ちょっと僕には合わない作品でした。あまりにも耐えきれず、途中寝てしまったし。
ストーリーとしては、ゴッホの伝記的な感じなんだろうけど、どの時代のゴッホなのかは、ゴッホについて詳しくないので分かりません。ただ途中でポール・ゴーギャンが出てきて、黄色い部屋で一緒に生活しているシーンが出てくるんで、それぐらいの時代も含まれています。

ゴッホのついての基礎的な知識がある人が観たらどう感じるか分かりませんが、僕のような、ゴッホについてほとんど詳しいことを知らない人間には、どういう風にこの映画を見ればいいかちょっと分かりませんでした。人物について、あらゆる面を2時間で描き出せるわけがないから、この映画でも、「ゴッホ」という人物を、ある側面から切り取っているんだろうと思うんですが、その切り取る方向性みたいなものが僕にはイマイチ分かりませんでした。創作の苦しみなのか、周囲の人間との関わりなのか、あるいは他の何かなのか。ゴッホの生涯のどの部分に焦点が当たっているのかがわかりにくいなぁ、と思いました。

あと、この映画について非常に大きな疑問は、「何故か手ブレ感満載の映像」ということです。

通常手ブレ感満載の映画というのは、ドキュメンタリーでよくあります。手持ちカメラで、目の前で起こっていることを切り取っていくわけだから当然です。また、フィクションであっても、ドキュメンタリー風に見せたいとか、あるいは何か別の特別な理由があって、手ブレ感のある映像に仕上げることもあるでしょう。

しかしこの映画では、手ブレ感は必要ないんじゃないかと、僕は冒頭からずっと感じていました。手ブレ感のある映像は、「そこにカメラマンが存在する」ということを強く意識させるものですが、この映画では、そう演出する必然性が、僕にはまったく存在しないとしか思えなかったからです。あるシーンなど、走り出したゴッホと並走するようにカメラマンが走ってる感じで、画面がブレブレ、ほとんど何が映ってるんだか分からない、というような感じでした。そんな風に撮る必然性があったのか?

技術的に不可能なはずはないから、何らかの意図はあるんだろうと思います。もちろん、ゴッホその人の視点であることが明らかな場合に、特殊なエフェクトがなされるのは、理解できます。この映画では、ゴッホ視点の時に、下半分が刷りガラス風に曇ったり、色彩が他の場面より鮮やかだったりします。それは、意図は分かります。ただ、画面上にゴッホが映っている場面でも、平気で手ブレ感を出してくるんで、その意図がまったく分からないんですよね。あれはホント、何だったんだろう?




意図が分からないまま、手ブレの映像がかなり続くんで、映像的にしんどさを感じる人は結構いるかもしれません。
ナガエ

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