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ディリリとパリの時間旅行のumisodachiのレビュー・感想・評価

ディリリとパリの時間旅行(2018年製作の映画)
4.5
ベル・エポック期のパリを舞台にしたアニメーション作品。息子と一緒に吹替版を観に行った。

ニューカレドニアからパリへとやって来た混血の少女ディリリは、オレルという青年と友達になった。ふたりは、街で多発している男性支配団による少女誘拐事件の謎を追うことにするのだが……。

実写のような背景に、切り絵風のキャラクターが配された映像は、ただひたすらに美しい。本当に、見ているだけで涙が出てきそうになるくらい美しいのだ。もうこれだけで十分というくらいなのだが、もちろんそれだけの映画ではない。

本作の始まりはけっこう衝撃的だ。画面には半裸で生活するどこかの原住民の家族が映し出され、それぞれ楽器を奏でたり料理を作ったりしている。だが引きの画になったとき、それが万博の見世物のひとつだったことがわかる。さっきまで"エキゾチックな"言語を話していた半裸の少女は、綺麗なワンピースに着替えて出口から出て来て、とても丁寧な言葉遣いでフランス語を話すのだ。(吹替だから日本語だったけれど)

ニューカレドニアから船に忍び込んで渡仏したと語る少女ディリリは、自分は混血児だと思うと語る。ニューカレドニアでは肌が白すぎると言われ、フランスでは肌が黒すぎると言われることも。万博でのバイトを終えた彼女は、オレル青年と共にパリの街を冒険することになる。

このオープニングだけで、あらゆる情報が詰め込まれている。人種問題、西洋中心主義、歪なオリエンタリズム……これから始まる物語は、きっと社会性を帯びたものになるのだろう。観る者にそう覚悟させるインパクトの強いオープニングだった。

ディリリとオレルは、謎を解く中で様々な人と出会う。ピカソ、マティス、パスツール、ロートレック、プルースト、マリ・キュリー、コレット、モネ、サラ・ベルナール……何十人もの有名人たちが登場し、画面を彩っていく。もちろんムーラン・ルージュも出てくるしオペラ座も出てくる。最も華やかだったこ頃のパリのすべてが、スクリーンに凝縮されていたといっても過言ではない。

ディリリは、会う人すべてに対して丁寧にお辞儀をして、礼儀正しく挨拶をする。そして、メモに会った人々の名前を書き留める。差別的な対応をされときは、怯まずに反撃することもある。礼儀正しく、自尊心を持ち、相手を貴ぶことができるディリリ。でも、自分の尊厳を傷つける人間には容赦しない。

ディリリはまた、すぐに「私は将来〇〇になりたい」と言う。オレルは「ずいぶんなりたいものが多いんだね」と笑う。ディリリは何にだってなれるのだ。彼女の好奇心は尽きることがなく、未来は大きく開かれているのだから。

ディリリたちが追う男性支配団の活動内容はあまりにおぞましく、子供にはショッキングすぎるかもしれないと不安になるほど醜悪だった。終わった後に息子に確認したらしっかり理解しているようだったので安心した。描かれていた差別の構造についても話し合うことができた。

ここまで悪意に満ちた差別を描くことが適切なのかどうかは分からないが、「差別は醜く忌むべき行為であり、教養と知性は他者へのリスペクトと多様性の受容を育む」というメッセージは痛いほどに伝わってきた。そして、知性と教養に裏打ちされた美は、すべてを制圧して高らかにパリの頭上に君臨する。芸術は地獄を打ち負かし、多様性こそが世界を輝かせるという真理を知らしめる。

まだ小2の息子は、ベル・エポックどころかパリがどんな都市なのかすら分かっていない。ピカソも知らなければ、ロートレックもドビュッシーもピンとこなかっただろう。でも、彼は「面白かった!もう1回観たい」と言った。差別や偏見を完全否定し、誇りと芸術と知性を賛美したこの作品を息子と観ることができたことを、私は神に感謝したい。誇り高いディリリと、魔法のように美しい街並み、惚れ惚れする綺麗な歌声……『ディリリとパリの時間旅行』という宝石のような映画の断片が、彼の心に残り続けてくれることを願っている。

なお、吹替版のオレルは斎藤工が演じていたのだが、とても良かった。役柄に合っていることはもちろん、切り絵風のアニメに合わせた独特の喋り方も自然だったし、なによりもこの作品の本質を深い部分まで理解しているのだろうと思わせる奥行きを感じた。ディリリを演じた新津ちせもまた然り。
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