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グリーンブックのneroのレビュー・感想・評価

グリーンブック(2018年製作の映画)
4.5
期待のアカデミー作品というのに、開始早々[字幕:戸田奈津子]の表記にいきなり気持ちが萎えた。二人の口調の差も表現しきれず、例によってニュアンス吹っ飛ばしの暴訳が散見される。本当に早く引退していただけまいか。★-0.5はナッチのぶん。

予告では人種差別の真ん中での友情形成を描くハートウォームロードムービーと受け止めていたが、本編では同性愛までからむ結構ヘビーな内容だった。ケレンいっぱいの超大作でも、あざとさまみれの感動ポルノでもない。ある意味凸凹珍道中のパターンをきっちり踏襲して、人の愚かさと暖かさを描いた素晴らしき”普通の”映画であり、軽やかでそして隅々まで神経の行き届いたいい作品だった。Exective Producerは意外にもオクタヴィア・スペンサー。なんか好きな映画には必ず彼女が関わっている気がするよ。

実話ベースとはいうものの、だいたいドン・シャーリーの情報が殆ど無い。ウィキ(日本版)にエントリすら無いって? 黒人故にクラシックシーンでの活動は叶わず、黒人コミュニティからもカルチャーからも距離を取り続けたドン。カーネギーの上に住んでいたというから、成功者として有名だったと思われる。レコードもPOPS系のレーベルから結構出ているが、エリントン以外にJAZZプレイヤーとの交流は殆どなかったらしく、音源も日本ではリリースされていない。知られていないのも無理はない。
ピアノにベースとチェロという、ドンのトリオによるスタンダード曲集「GreatestHits1」を聞いてみた。実にクレバーなピアノで、アカデミックでなおポピュラーというドンの音楽の方向性が窺える。

同性愛について本人はカミングアウトすることはなかったが、トニーから妻への手紙で『まるでリベラーチェのように弾く』と形容されたり(「恋するリベラーチェ(2013)」の彼のことだよね)、雨中でトニーに「完全な”男”でもなかったら一体私は何者なんだ?」とキレたりしている(この部分『I’m not man enough』をナッチは”人間”と訳していたが違和感あるよねえ) 
このあたりはすべてYMCAのあのシーンへと繋がる。
ドンがゲイであることをトニーはとうに気づいていたし、そしてドンもそのことを知っていた・・・。実際のツアーは1年半に及んだそうだから、充分その余地はあっただろう。YMCAはどこにでもあるもんね。
※コメントに<追記>で補足します

黒人でゲイとあれば南部では確かに命の危険も大きく、それだけに絆も深化しただろうことは想像に難くない。だからこそ、メンフィスのホテルでドンが見せた、縋るような気持ちを尊大さに押し隠したような引き止めの微妙さは沁みた。
変化してゆく自身の気持ちを自然に見せるヴィゴ・モーテンセンも見事だけど、贅沢ながら孤独な生活を送る一方で、自身のアイデンティティに悩む様を南部で農作業をする黒人たちの視線にうつむくだけで表現したマハーシャラ・アリもまた見事。こんなの両者主演でいいんじゃないかねえ。

当然のことながら音楽面でも見どころは多い。繰り返される演奏シーンでは、ドンのクラシック仕込みの超絶技巧を見事に再現するマハーシャラ・アリの(?)長くしなやかな指の動きに魅了される。中でも、バーミンガムの酒場で演奏するオンボロピアノでのソロ「Lullaby of Birdland」が一番印象に残っている。高速すぎて一瞬わからなかったが、抑圧からの開放感を表現しているようでゾクリとした。そのあとのブルースセッションもいかにも楽しそうで、音楽ドラマとしても盛り上がりは最高だった。探るようにコードで入っていくあたりなんかも素晴らしい。不満は演奏時間の短さだけ。これはサウンドトラックが欲しくなる。

その後のNYへ帰還する雪中ドライブ。トラブルも含めて文字通り北と南の温度差まで表現しており、警官の何気ない対応が地味に効いていた。二人の安堵感が伝わる。
そして雇用関係を超越したポジション交代からじんわりと暖かいエンディングへ。ホワイトクリスマスでの締め、完璧だ。

で、どうしても疑問なのは予告編で使われた曲「Unsquare Dance」。これはDave Brubeckの1961年の変拍子ヒット曲。時期的には合うけれど、西海岸のクール・ジャズだし、どうにも似合わないんだよなあ。本編とも全く関係ないのになぜこの曲を使ったんだろう? もちろんサウンドトラックにも入っていない。本編の音楽ではクロスオーバージャズの注目株ピアニストKris Bowersがサポートしているが、予告編での演奏はBrubeckのオリジナルくさい。権利関係かなあと少々モヤモヤしている。
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