るるびっち

グリーンブックのるるびっちのレビュー・感想・評価

グリーンブック(2018年製作の映画)
4.4
黒人専用の宿が載っているグリーンブックは差別の象徴。
しかし誰の心にも自分なりのルールブックがある。
意識的無意識的に関わらず、普段はそのルールブックに基づいて行動して、考えて、生きているはずだ。

互いに正反対の二人の男が、ひとつの車で旅をする。
オードリー・ヘプバーンの『麗しのサブリナ』で、運転手の父親が「人生はリムジンと同じで一緒に乗っても、前の席と後ろの席にはガラスの仕切りがある。それぞれの位置を忘れてはいけない」という台詞があった。
前で運転する運転手と、後部座席に座る雇い主。
本来なら人種も教育も資産も価値観も違う二人の男には見えない仕切りがあって、それぞれの位置を変えることはない・・・ハズだった。

黒人ピアニストのドン(ステージネーム)は誰にも見下されないように自分を律し、教養を深め暴力を否定してきた。不条理に差別しリンチする白人たちを軽蔑して、非暴力を貫くことで彼らと同化しないように一線を画してきた。
「暴力は敗北だ。品位を保つことが勝利への道だ」
しかし差別から身を守るそれらの行いは、同時に彼自身が自分以外の人間を見下している=差別していることに繋がるのだ。
差別はドンの心の中にも生まれていたのである。
だから彼は、城の中に住む孤独な王様だ。
最初に現れた彼は、王様のような衣装で高い椅子に腰かける。
彼自身が車を運転することはない。人の人生に交わることはない。

イタリア野郎のトニーは、そんな彼に食ってみろと平気で後部座席にフライドチキンを投げ込むような男だ。ガラスの仕切りを無視する男なのだ。

映画の前半で高い椅子に座るドン、車は後部座席、ピアノはスタインウェイしか弾かない、それらが後半でカードをひっくり返すように・・・
トニーに口伝で手紙を書かせる。いつしかトニーは自分で書けるという。
そこには決してドンには書けない文面があった。家族のいない彼には、思い浮かばない引用。
物真似ではない自分らしさが一番心に響く。
見下されないよう品位にこだわって生き、孤独になったドンの心に新たなルールができたのだ。
それはトニーも同じ。買収とでまかせでピンチを凌いできたトニーも、カードをひっくり返す。ルールブックは書き換えられる。

ピアニストのドンを招いて置きながら、黒人の食事は拒絶するレストラン。理由はない、それがしきたりだから。くだらないルール。形骸化したルール。しかし、それこそ差別の実態だろう。
意味のないルールが世の中にも、誰の心にも溢れている。
そのルールは本当に必要なのか? 意味があるのか? 検証しよう。
心のルールブックを書き換えよう。
人との交流。新しい物との出会い。旅。そして映画を観る事。
誰もが、古いルールブックを更新するべきなのだ。
それが差別的なグリーンブックなら猶更ではないか。
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